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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■眠りにつく / 関根弘興

2021年09月14日 | Weblog

2021.3.30放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 キリスト教会のカレンダーでは今週はイエス・キリストが十字架につけられたことを覚える受難週で、今度の日曜日はイエス・キリストは死からよみがえられたことを記念するイースターを迎えます。そこで今週は、ご一緒に聖書から死と復活ということについて考えていきましょう。

 昨日は、人は誰も例外なしに死を迎えるというお話をしました。しかしイエス・キリストこそ死を乗り越えるいのちを与えることができる方だと聖書は伝えています。

 新約聖書のマルコの福音書5章を読むと、会堂管理者のヤイロという人が、自分の娘が死にかけているので助けてください、とイエス様に懇願してきました。

 しかしイエス様がヤイロの家に着いた時には、すでにこの娘は息を引き取っていました。周りの人々の泣き声が響く中、イエス様は何と「恐れないで、ただ信じなさい。なぜ取り乱して泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」と言われました。人々はイエス様を嘲笑い、呆れてしまったのです。

 しかしイエス様は子どものいる所へ入って行かれ、「少女よあなたに言う。起きなさい」と語りかけると、すぐさま起き上がり、歩き始めたんです。

 この出来事はイエス様の働きがどのようなものなのかを伝える大変象徴的な出来事になりました。

 つまり、イエス・キリストの前では死は眠っているにすぎない。そしてイエス・キリストは眠りから覚ましてくださるお方だということです。新約聖書の後半の手紙をたくさん記したパウロは、テサロニケに送った手紙の中でこう記しています。

 「眠っている人たちについては兄弟たちあなたがたに知らずにいて欲しくはありませんあなたがたが望みのない他の人々のように悲しまないためです」 

 こう記しています。「眠っている人たち」とは死んでしまった人たちのことです。既に眠ってしまった人たちがどうなるんだろうか、と誰もが考えていました。しかし聖書は、「あなた方が望みのない他の人々のように悲しまないためです」と書かれてるように、たとえ悲しい涙を溢れるほど流したとしても永遠の望み・希望がある、と実は約束しているんです。なぜなら眠りから覚ましてくださるイエス・キリストがいてくださるからです。
      (PBA制作「世の光」2021.3.30放送でのお話しより)
 ***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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