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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■苦難の中で人を育てた宣教師 S.R.ブラウン/岩井基雄

2015年10月23日 | Weblog
2015/10/23放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 第四週の金曜日にはクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は初期のプロテスタント宣教師の一人、S.R.ブラウンについて学んでみましょう。

 1810年にアメリカ、コネチカット州で機械工の父と賛美歌作者の母との間に生まれたブラウンは、小さい頃から母と一緒に教会に出席していました。イェール大学を卒業後、ニューヨークにある聾唖学校で教鞭を取ります。しかし体調を崩して退職した後はコロンビア神学校などで音楽を教えることになります。母親に育てられた音楽の賜物が生かされ、人々に神様への賛美を届けたのですねえ。その後、1838年にユニオン神学校を卒業し、エリザベスと結婚したブラウンは次の年にマカオに到着し、モリソン記念学校の校長として6人の生徒たちを教えます。1841年にはシンガポールてヘボン夫妻に出会い、その後の不思議な神の導きへと繋がっていきます。香港に居を移した後、1847年には奥さんの病のためにアメリカに帰国しますが、そこでまた複数の学校、米国発の女子大学の設立にも尽力し、1858年に再び海外伝道に導かれ、翌年に彼らはフルベッキたちと共に日本の宣教師に選ばれ、神奈川に上陸します。先に来日していたヘボンと共に日本語を学び、聖書の日本語翻訳を始めるのです。ブラウンは英語通訳養成で日本人青年のクラスを担当し、1862年に横浜英学所が(横浜奉行所により)開校します。5年後、火災で自宅を焼失し、一時アメリカ帰国を余儀なくされますが、2年後には女性宣教師メアリー・キダーを伴って再来日し、新潟英学校教師に就任するのです。彼らはその後も多くの苦難を通っていきますが、元会津藩士井深梶ノ助たちの要請や助けを受けブラウン塾を開講、それも後の明治学院に繋がっていきます。幾度も幾度も悲しみを通ったブラウンでした。しかし神様はすべての苦難をも益に変え、彼を人を育てる器、愛の教師として用いてくださったのです。

 聖書のことば
 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 」 ローマ 8章28節

 (PBA制作「世の光」2015.10.23放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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