2012/6/25放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストは「わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ福音書11章29節)と約束されたんです。私たちはイエス・キリストから一体何を学ぶことができるでしょう。
第一は、しもべの心を学ぶんです。マルコの福音書10章45節には「人の子(すなわちイエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と書かれています。イエス・キリストは私たちを仕えさせるためではなくてご自分が私たちに仕えるために来てくださったと聖書は教えるんです。ですからイエス・キリストから学ぶということは互いに仕える心を持ってそれぞれの役割を果たしていくということなんですねえ。そうすれば安らぎが来ると約束されているんです。
第二は、赦しの心を学ぶということです。これは人生の大きなテーマです。そして難しい問題です。私はこのことを簡単にお話ししようとは決して思いません。しかし憎しみをそのまま心に持ち続けていると決して平安を得ることができないのも人は分かっています。赦すことは感情的に難しいと考えることがあります。でも赦すことは意志を用いるんです。感情やしこりが残ることもあるでしょう。しかし赦すという表明は確かに心を解放し平安を注ぐ出発となるんですね。もし私たちがなかなか赦せないと感じるなら、イエス様の姿をどうぞもう一度見つめてください。イエス・キリストの十字架を思い出して欲しいんです。私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださった、命をかけてくださったイエス様の姿を思い出して欲しいんですね。
そして第三は、生きる確信を学ぶということです。イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ福音書14章6節)とおっしゃいました。イエス・キリストはご自分が誰であるかということ、そのことを明確に知っていました。
「わたしは道である。」 ですから私たちは生きるべき道をイエス・キリストから知ることができるんですねえ。
「真理である」とイエス・キリストをおっしゃったのでイエス・キリストの約束は誠である、本当にその通りであるということを知るんです。
「いのちである」とイエス・キリストはおっしゃいました。十字架につけられて三日目によみがえられたお方、いのちを与えるお方としてイエス・キリストは御自身を明らかにしてくださったんです。
イエス・キリストから学ぶというのはこの人生の道を、真理を、いのちを学ぶことでもあるんですね。そうすれば魂に安らぎが来るんです。
(PBA制作「世の光」2012.6.25放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストは「わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ福音書11章29節)と約束されたんです。私たちはイエス・キリストから一体何を学ぶことができるでしょう。
第一は、しもべの心を学ぶんです。マルコの福音書10章45節には「人の子(すなわちイエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と書かれています。イエス・キリストは私たちを仕えさせるためではなくてご自分が私たちに仕えるために来てくださったと聖書は教えるんです。ですからイエス・キリストから学ぶということは互いに仕える心を持ってそれぞれの役割を果たしていくということなんですねえ。そうすれば安らぎが来ると約束されているんです。
第二は、赦しの心を学ぶということです。これは人生の大きなテーマです。そして難しい問題です。私はこのことを簡単にお話ししようとは決して思いません。しかし憎しみをそのまま心に持ち続けていると決して平安を得ることができないのも人は分かっています。赦すことは感情的に難しいと考えることがあります。でも赦すことは意志を用いるんです。感情やしこりが残ることもあるでしょう。しかし赦すという表明は確かに心を解放し平安を注ぐ出発となるんですね。もし私たちがなかなか赦せないと感じるなら、イエス様の姿をどうぞもう一度見つめてください。イエス・キリストの十字架を思い出して欲しいんです。私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださった、命をかけてくださったイエス様の姿を思い出して欲しいんですね。
そして第三は、生きる確信を学ぶということです。イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ福音書14章6節)とおっしゃいました。イエス・キリストはご自分が誰であるかということ、そのことを明確に知っていました。
「わたしは道である。」 ですから私たちは生きるべき道をイエス・キリストから知ることができるんですねえ。
「真理である」とイエス・キリストをおっしゃったのでイエス・キリストの約束は誠である、本当にその通りであるということを知るんです。
「いのちである」とイエス・キリストはおっしゃいました。十字架につけられて三日目によみがえられたお方、いのちを与えるお方としてイエス・キリストは御自身を明らかにしてくださったんです。
イエス・キリストから学ぶというのはこの人生の道を、真理を、いのちを学ぶことでもあるんですね。そうすれば魂に安らぎが来るんです。
(PBA制作「世の光」2012.6.25放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。