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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り 38 / 大嶋重徳

2015年10月20日 | Weblog
 2015/10/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。

 主の祈りには「我らの日ごとの糧を今日もお与えください」ということばがあります。この祈りは、日毎の糧・食べる物を神様に求めなさい、と祈ることを教えてくれ、食べる喜びに生きることを私たちに教えてくれる祈りです。それと同時に、この喜びは「我ら」で分かち合いなさいと命じられているのです。

 私の妻はおいしい物をいただいた時、「ああ、あの人たちを呼んで一緒に食べたいねー。」と言います。おいしいもの食べるのはたくさんの人と分かち合って「おいしいねえ」と言って食べた方が喜びは広がるのです。我らの日ごとの糧を求める主の祈りを祈る時に、受けることで恵みを数えていた所から与えることで恵みを数える生き方へ変えられていきます。

 私は独身時代には自分の思い通りになる時間を過ごすことが幸せでした。雰囲気の良い喫茶店で良い音楽を聞きながらお気に入りの本を読むことが幸せでした。しかし結婚すると、その時間が奪い去られていくような気がしました。子どもが生まれると、休日の日の朝もお腹の上で「遊ぼう!」とジャンプしてくる子どもがいたりします。あるいは目が覚めると子どものお尻が顔の上に乗っている訳です。しかし、自分の休みをどれだけ確保できるのかが幸せであった所から、今日の一日を妻と一緒に買い物に出かけて妻の喜んでいる顔を見るのが幸せへと変えられていきます。子どもたちと一緒に遊んで「お父さんと遊ぶと楽しいねえ」と嬉しそうな顔をしている子どもの顔を見るのが我らの幸せなのだと変えられていくのです。

 主の祈りを祈るとき、本当に必要なものを神様は「私」だけではなく、「我ら」に与えてくださる神様なのだと受けとめていくことができるようになります。そして私たちは「私」で生きる所から「私たち」で生きるようにと変えられていくのです。神のものが絶えず我らの中にあると祈るこの祈りは私たちの感じる幸福の感じ方を変えていってくれるのです。

 それゆえ主の祈りを祈る私たちは、今朝も与えられた恵みの豊かさを誰と分かち合おうかとワクワクしながら、家族と共にあるいは職場の人たちと共にその喜びを与える方へと生かされてまいりたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2015.10.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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