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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪の解決とは? / 関根弘興

2014年11月24日 | Weblog
2014/11/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も聖書が教える「罪」ということについて前回に引き続きお話ししましょう。聖書が教えている罪とは「的外れ」という意味があるんです。

 私たちの身体でもずれが生じたら病気になりますねえ。それと同じように神様とあなたとの正しい関係がずれてしまっているとき、人は神様から愛されていることや、本来の人としての目的や道を見失って、その結果として様々な問題が生じて来るんです。

 この罪の状態、ずれてしまっている状態とは、別のことばで言えば断線してるような状態なんですね。どんなに高級なテレビでも電源が入っていなければ決して映像を映し出すことはできませんね。同様に人がどんな立派でもどんな功績を上げたとしても神様との関係が断線してならば、本来あるべき姿が失われているんです、と聖書は教えるんです。

 ですから大切なのは、神様とのずれてしまった関係を正直に告白し、向きを変えていくことなんです。神様なしの生き方から神様ありの生き方へとと方向を変えていくこと、これを聖書では「悔い改め」って言うんですねえ。
 そしてとても大切なことなのですが、聖書は「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6章23節)と書かれています。私たちの罪は死をもってしか償うことができない、と聖書は教えるんです。正しい神様の前で私たちはみんな罪人です。でも神様は愛なる神様です。私たちが罪の罰を受けるのではなく、ご自分の独り子なるイエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。そしてイエス・キリストが私たちのすべての罪の罰を、呪いを身代わりに背負ってくださって十字架についてくださったんです。

 イエス・キリストの十字架、その出来事によって罪の赦しの道が開かれていきました。ですから、まず神様に背を向けているなら向きを変えて、「これから生きていきます。あなたを見上げて生きていきます。」と告白することが第一です。そして自分の中にあるすべての罪をイエス・キリストが身代わりとなって、背負って、十字架についてくださったことを受け入れ、イエス・キリストによって私のすべての罪が赦されているということを信じ、歩んで行くのです。

 でも私たちは生きていく中で、赦されてるといっても罪を犯してしまう弱い人間です。ですからその都度その都度、罪だと分かった事に対してその事を告白し、イエス様の赦しを確信し、歩んで行くのです。

 イエス・キリストは言われます。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ福音書5章31節、32節)


 (PBA制作「世の光」2014.11.24放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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