世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。
まあ私たちの人生にはたくさんの重荷がありますねえ。時には孤独感であり、また虚しさというものです。そして大きな重荷の一つ、それは罪責感です。だれの心にも後ろめたさがあるんですよね。人は正直に自分の心を覗いたら誰もが罪を認めることでしょう。
だいぶん前の話ですが、アメリカの著名な牧師ビリー・グラハムがエクアドルのアウカ・インディアンを訪れた時のことをこう書いています。
人々は石器時代の生活をしていました。嘘をつき、騙し、憎み、殺し合っています。この部族は戦いのために全滅といってよい程になりました。私は自分に言いきかせました。この人たちのために必要なものは教育だ。経済上の安定性だ。良い食べ物と立派な衣類だ。これらのすべてを彼らが必要としていることは確かだ。しかし私がニューヨーク、パリ、ロンドン、モスクワに行って何を見るでしょう。そのようなものを全部持っていながら人々は嘘をつき、憎み、騙し合い、殺し合っている事実です。歴史上最も悲惨な戦争は、いわゆる文明国に見られるのです。
ま、考えさせられることばですねえ。人々の中には、どんな国の人であってもみんな罪があります。罪とは、関係の破壊を意味することばなんですね。人は本来神様を信頼して生きていくべなのに、自分勝手に背を向けてしまうという姿なんです。愛なる神様から目をそらし、自分勝手に神様を無視して生きていくことが罪なのです。この罪は人間関係さえも破壊していきます。人は愛し愛されるべき存在なのに、人が人を傷つけ、そして破壊していくんです。
聖書は、「罪から来る報酬は死です」(ロ-マ人への手紙6章23節)と語っています。罪あるままでは、それが人生の重荷となり、あなたの人生が潰されてしまうというんです。
この罪という重荷を一体誰が解決してくださるのでしょう。イエス・キリストは十字架につけられました。罪のない、きよいお方が、むごたらしい十字架についてくださったのです。それはあなたの罪の身代わりとなって罪を背負い、あなたの罪を赦してくださるためだと聖書は教えています。罪の重荷を誰が解決してくださるのでしょう。イエス・キリストは、疲れた人は重荷を降ろしなさい(※)と言います。キリストのもとに罪の重荷を降ろすことができるのです。
( PBA制作「世の光」2007.01.16放送でのお話しより )
※「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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