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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■生ける主を求めて / 関根弘興

2023年12月09日 | Weblog

2023/9/6放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週はイエス・キリストがお語りになったたとえ話から、祈りについてご一緒に考えています。前回は、神様はご自分の面子にかけても私たちの祈りを聞いてくださる方だというお話をいたしました。

 祈りを聴いてくださる神様がおられる、というのは何と幸いなことでしょう。
 旧約聖書の詩篇42篇1節には
  「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
   私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています」
 と記されています。

 私たちが神様を信頼し生きようとするとき、時々自分勝手な思い込みを持ってしまうことがあります。
 その一つは、神様を信じたら良いことがある、神様を信じたらすべてうまくいく、という思い込みです。でも、神様を信じていたらすべてうまくいくと考えてしまうと、調子が悪くなったり、苦しみ、病気などが起こると、「なんで神様は、こんなことをなさるのか。神様なんて信じられない。ちっともうまくいかない」 それで終わってしまうんです。
 
 もう一つの思い違いは、神様を信じれば、問題が襲って来ても悩んだり落ち込んだりはしない、という思い込みです。もし悩んだり落ち込んだりしてしまうと、ああそれは自分には立派な信仰がないためだ、と自分を責めてしまうのです。こうした生き方もいつしか疲れ、つまずいてしまいます。

 しかし、聖書の教えている信仰のあり方は、そういうものとは違います。自分が中心にならないんですね。たとえ困難があっても、悩みの中にあっても、「神様はなお私を愛してくださる」「神様がなお私を導いてくださる」「神様が祈りを聴いてくださる」と、いつも主語が「自分」ではなく「神様」に置き換えられて生きていくことができるんです。

 この詩篇の作者は、「生ける神を求めて渇いています」と記していますね。生きている神様に求めるのでなければ、その求めはむなしいものです。この詩篇の作者は人生最大の困難の中で渇きを覚え、苦しみが襲ってきた時、「こんな苦しみがあるのだから、もはや神などいない」とは告白しませんでした。生ける神様を慕い求めたのです。

 神様を否定して問題の解決を得ることはできません。神様を呪って道が開かれることはありません。自分では理解出来ない苦しみがあるからこそ、その葛藤の中で、私たちは生ける神様に祈り求め続けていくのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.9.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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