ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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なぜ食べなきゃいけないの? その3 福岡さんの発言からー2

2012-01-23 19:48:59 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 「辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~」で福岡伸一さんが書いていることをもうちょっと抜粋します。青字が原文です。

●生命と宇宙の法則
 (人間には「時間の流れを止めること」と「秩序をずっと維持すること」はできない。秩序をずっと維持できないことを「エントロピーの法則」というが「すべて秩序があるものは崩れ去る方向に行く」、これが時間の流れということでもあるんです。それを逆戻しすることはできない。それは宇宙の法則です。
 その宇宙の中にあって、生物、生命だけが秩序を曲がりなりにも維持している。どうして秩序がそんなに長い間維持できるのか。その答えも、実はシェーンハイマーが出しているんです。
 生物の身体に対して、秩序を壊そうとする宇宙の力は働いています

(でも生物は)自ら先回りして自分の身体を壊している。そしてつくり変えているんです。秩序を維持するために「秩序を壊しながら」新しいものにつくり変えている。そのいたちごっこが「生きている」ということだと。
 でも、永遠に勝ち続けることはできない。やがてその宇宙の力に遅れてしまう。それがエイジング、老化していくということです。それが追いつかなくなったところに個体の死は来る。でもその時に分子はバラバラになって、また環境中の別の生命に流れていくわけです。

 生命の誕生は地球ができてから十億年を経た頃に起こったといわれますが、気が遠くなるような長い時間の試練を経て、現在の平衡状態に達したことが非常に重要です。 
  「環境の世紀」といわれるいま、私たちに必要なのは環境と対峙することではなく、環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡の中にあるという視点であり、できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことだと思います。


★週刊文春から
 福岡伸一さんはこの“死のメカニズム”について、週刊文春新年号の「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」第177回に「シジフォスの労働」というタイトルで書いていますので、それも抜粋して紹介します。

 私たちはふだん自分は自分、自分のからだは自分のものと思っている。けれどほんとうは、私が私であることを担保する物質的基盤は何もない。私の身体は流れの中にある。分解と合成のさなかにあり、常に新しい原子や分子が食物として取り入れられ、その時点で私を構成している原子や分子は捨てられる。

 脳細胞ですら例外はない。すべてが分解されつつ合成される。ゆえに記憶も実は流れ流されている。全身のあらゆる部位が常につくり変えられている。一年もすれば、物質的には私は別人となっている。

 生物はわざわざエネルギーを使って積極的に自らを壊しては、つくりかえている。
 
 細胞は壊すことの方を必死にやっている。できたてほやほやのタンパク質ですら情け容赦なく分解している。これが動的平衡である。なにゆえに、そこまでして壊し続けるのか。
 秩序は無秩序の方へ、形あるものは崩れる方へ動く。構造物は風化し、輝けるものはさび、熱あるものは冷める。エントロピー(乱雑さ)増大の法則である。時間の矢はエントロピーが増大する方向にしか進まない。
 
 すこしでもその法則にあらがうために、生命はあえて自らを壊すことを選んだ。率先して分解することで、変性、酸化、損傷を、つまり増大するエントロピーを必死に汲み出そうとしているのだ。下るべき坂道をできるだけ登り返そうとしているのだ。あたかもシジフォスの巨石運びのように。
 しかし強大な宇宙の大原則のもとではその努力も徐々に損なわれていく。排出しきれない乱雑さが少しずつ細胞内に溜まっていく。やがてエントロピー増大の法則は、動的平衡の営みを凌駕する。それが個体の死である。
 

 うーん、食べたものは瞬く間に分解されて、食べている体のほうも常に分子レベルで自己解体していて、食物中の分子と体の分子は渾然一体となって高速で入れ替わり続けている。
 体が率先してその入れ替わり、つまり壊しなが取り入れてつくりかえていくこと(動的平衡)をすることで崩壊を少しでも食い止めようとしているが、結局はエントロピー増大の法則によって崩れてしまうということなのね。