花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市漫歩マップ 番外 陣屋②

2021年12月04日 | レモン色の町

四日市は一時期 大和郡山藩統治時代を除き天領(幕府直轄)でした。

ここに陣屋の平面図が2枚あります。1枚目ですが、敷地は東西44間(約80メートル)、南北46間(約84メートル)のほぼ正方形です。周囲の堀は、広いところで24メートル、狭いところは9メートルあります。竪町通り(南側)に面して矢来門(黒門)が建ち、堀を渡ると四角い空き地になっていて(桝形)兵を待機させるところです。お城の造りのようですね。ここに長さ7間(約13メートル)の土手が右手より突き出ていて、この上に守りの兵が立ちます。

北側の裏門には板橋が架かっていて、戦の時は、橋をはずせるようになっていました。

表門を入ると左右二棟の建物があり、左の長屋風の細長い建物は、手代、手付より身分の低い使用人の住宅と思われます。右の大きな建物は、白洲や立派な玄関がある政務を執るところでした。中央に松の木が描かれていますが、天正10年(1582)本能寺の変の際、徳川家康が三河へ逃げる際に、馬を繋いだとされる“神祖御駒繁松”と考えられます。もう1枚の絵図は、建物が多くみられますが、陣屋の計画図ではないだろうか?の説もあります。

陣屋は、明治時代になって、渡会県支所、安濃津県支所を経て三重県庁となりました。稲葉三鵜衛門翁が、何度か嘆願に来庁しています。しかし、明治9年の伊勢暴動(農民一揆)の際にすべて焼失しました。現在は中部西小学校となっています。


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