花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市井からの眺め 20 四日市音頭

2020年03月22日 | レモン色の町

昨日 藤井氏がおみえになり ひと喋りしていった 「そういえば 四日市音頭 ってあったなぁ」ということで 早速検索していったら わたくしのブログにあたりました 2010年7月の事 商店連合会の席で見せていただいたことがきっかけでした

・・・会議の始まる前に、会長とテラモッチャンが「四日市市歌」の話題で興奮してみえましたので、その歌詞の全貌をご紹介します。これは、市制60周年記念の広報四日市に掲載されていたものです(昭和32年9月24日発行) 佐々木信綱作詞
一、あけぼの清き 伊勢の海
  内外(うちそと)の船の 出入(いでい)る港
    わが四日市 大四日市
  七つの海の 潮の香の
  マストの旗に こもる汽船(ふね)
  小船の白帆(しらほ) 画(え)のごとし
二、工場(こうば)の煙 たえ間なき
  産業都市の 栄(さかえ)を見よや
    わが四日市 大四日市
  市民の誇 よろこびは
  競いて進む 勤労に
  文化の花も さき匂ふ
三、鈴鹿の嶺の 夕映(ゆうばえ)は
  飛躍の明日を かがやき示す
    わが四日市 大四日市
  ああ東海の 枢要(すうよう)の地
  さきみどりつづく 広き道路(みち)
  灯ともる街に 平和あり
小学校で 歌ワサレマシタ 懐かしいです

お祭りを控えて(当時の日付は7月10日) ひき続き“新四日市音頭”をご披露いたします 同じく 昭和39年発行の「広報四日市特集号」より
作詞 佐伯孝夫  作曲 吉田 正
一、伊勢にゃ大神街道筋の
  四日市には大港
  さあさ汽笛が景気をつけて
  朝も早よからサノエー おそくまで
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
二、あれは万古のかまどの煙
  こちら工都の朝けむり
  さあさ道なら七十メーター
  並ぶみせみせサノエー 人の波
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
三、東伊勢海白砂つづき
  西は鈴鹿の山続き
  さあさ稲葉の三右ェ門さまも
  のびる街みてサノエー うれしかろ
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
     (四、五節略)
※コラショはヨイコラショ!と想像されるが ショコショコとは何ぞや
幼少の頃は ショッコイ ショッコイ と理解しておりました
悪い想像をしてしまいそうです。盆踊りで流されたこの曲のほうが「四日市市歌」よりも評判が良かったような記憶があります。トマレ元気の良い歌ダス

佐伯孝夫氏と吉田正氏

藤井氏曰く 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正というメンバーはすごい  お金がかかっていて 当時の勢いが窺える・・・と


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2 コメント

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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2020-03-23 18:33:29
四日市市歌。歌詞を読んでメロディを思い出しました。
この歌はいつおぼえたのでしょう。懐かしいですね。
随分経ってから、悪童はこんな替え歌を。
「工場の煙絶え間なき、公害都市の哀れを見よや〜〜。」
笑うに笑えない現実だったのですね。
作詞者の佐佐木信綱さん。三重県石薬師のご出身。
東海道線が敷かれる以前、父親とともに歩いて東京へ。
確か万葉集の研究で有名なお方。
あの懐かしい歌「夏は来ぬ」の作詞者としても有名。
そして、四日市高校の卒業者にとっては、校歌の作詞者として忘れられない方ですね。
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いまだにこだわる公会堂 (タケオです)
2020-03-24 10:44:59
今朝 昭和11年の国際振興大博覧会の会場図を見ていましたら 迎賓館の隣に 大会場とありました 昭和27年の農業博覧会時は 移築先で迎賓館 とあります 写真集 四日市の100年では 昭和5年 四日市公会堂 千歳町 とありました どうやら 迎賓館が戦後 公会堂になったのかな?と思います マ どうでも良いことですが それから 今のところ わたくしのメールが 不通です 申し訳ありません 後日まとめてみます
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