花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市祭り その10 今昔話⑦

2022年08月21日 | レモン色の町

中新町の小山“湯立て神事”とはいかなる練りか?それは、お祓い儀式の一つだそうです。神前の前で大釜に湯を沸かし、巫女や神官が・・・というあたりで不謹慎なことを考えそうですが、さにあらず。その大釜に笹の葉を浸して、自分の体や参詣人に振りかけます。現在も火の粉や水を振りまく神事があります。写真の練りの幕は、正面が当時の堀木四日市町長の篆書、両脇には伊東代議士の文字が刺繍されており明治26年に新調されました。それにしても引手の衣装がユニークですねェ。

写真提供:前田憲司氏

一般に、故事や伝説、能楽や長唄などからヒントを得た山車が多いです。時代を感じます。しかし、今聞くと「それ、何なの?」と思われる練りが多くあります。何度も言いますが、焼失は惜しい限りです。

四ッ谷新町の小山“石橋(しゃっきょう)”は、髪洗いの活動人形です。能楽の“石橋”を題材にしてあり、中国の清涼山を訪れた寂昭法師の前で、文殊菩薩の化身と思われる獅子が勇壮な舞を披露、獅子が髪を振り乱すさまから“髪洗い“と呼ばれています。紅白二頭の獅子で舞われる場合もあって、お祝いの意を込めて演じられました。

四ッ谷新町の石橋(しゃっきょう)当時は、子供が大切にされていた様子が分かります

写真提供:前田憲司氏 オーッ 四ッ谷新町の引手の衣装もユニークです お隣さんの中新町の練りを意識していたのでしょう 

北条町の人練り“魚づくし”。小山が多い中、北条の人練りは印象的です。「芸もなく、昔は貧乏人が多かった。それで紙と竹で出来る物を・・・というわけで魚になりました。」と“伊勢新聞”昭和31年9月26日の座談会にありました。

“旧四日市を語る”に中村さんが“魚づくし”のことを書いてみえます。

「昔(昭和以前)は、8月がお祭りだったのが、ご馳走がいたむので9月になったそうです。25日が町練り(幟立て)・26日 各町の練り受所回り・27日 諏訪神社への練り込み・28日 各町での山車おろし(やまおろし)で、開催の決定は9月初めでした。北条町には、魚問屋や行商の魚屋さんなどがたくさんあって、その関係でしょうか?魚の練りでした。たい・ひらめ・あじ・さば・たこ・いか等の張り子の魚を頭からかぶって、あちらこちらと練り歩いていました。一番大きいのは人魚です。27日夜の“帰り山”では、人魚が美人コンテストの美人になって帰ってきたことを覚えています。

前田憲司氏談「玉取姫の伝説にちなんで、宝珠を抱いた大きな人魚があり、人がかぶって練り歩きました。ドラと太鼓で囃したといいます。また、先頭には“おかめ”と“福助”が先導の道化を務め、錫をシャラシャラと鳴らしながら伝えたそうです。

昨日神社へ伺い、改めて“明治天皇御歌の碑”の位置を確かめたところ、一本足の灯篭が、お祓い処の所 の右(北側)にもあることが判明しました。岡野さんの手作りマップの位置が正しかったと思われます。

神社南の車入れの入り口

2022年8月13日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

少し進んだ位置から お祓い所の右に一本足の灯篭の並びがみえます

 

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