花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

こんなときに“閑話休題” ? どうする 桶狭間!

2023年01月08日 | レモン色の町

少し古いお話になりますが、四日市エリアプラットホーム事業を立ち上げるにあたり、石田さんの提案で、東岡崎市(訂正:岡崎市)を訪れました。2021年12月の事です。名鉄 東岡崎の駅を降りてペデストリアンデッキに立った時、勇壮な“家康”の像に遭遇しました。岡崎は徳川家康誕生の地です。

右上にご注目

銅像の下には『厭離穢土 欣求浄土』の文字が刻まれておりました。

「厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)」とは、煩悩に穢(けが)れたこの世を厭(いと)い離れ、極楽浄土を欣(よろこ)んで心から願い求めることです。平安中期の高僧 源信(恵心僧都:えしんそうず)が著した『往生要集』の中の言葉です。

永禄3年(1560)、松平元康(もとやす)=のちの徳川家康 が桶狭間の戦いで今川義元 討死の後、菩提寺である大樹寺へと逃げ隠れ、前途を悲観し先祖の墓前で自害を試みましたが、その際に十三代住職の登誉(とうよ)上人が「厭離穢土 欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われています。

家康公は以後戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土 欣求浄土」を旗印に幾多の難関辛苦(なんかんしんく)を乗り越え戦国時代を平定、世界的にも類をみない265年もの長きにわたる天下泰平の世の礎を築きました。

家康公像は、徳川家康と改姓した25歳当時の姿です。顔の表情は京都知 恩院や豊田市 燐松寺にある木像を、鎧兜は山形県 鶴岡市の酒井家に保管されているものを参考に制作されました。

2027年を目指して四日市近鉄駅前にも円形のペデストリアンデッキが計画されています。その中心にわたくしメの銅像をと頼まれたのですが、丁寧にお断り申しておきました。冗談!デス

<特別付録>お正月ですので伊勢神宮へお参りください。商店連合会の専務 SさんがGGシニアで動画をアップしてみえます。

(188) 「令和5年元旦/伊勢神宮初詣」 - YouTube

 

 

 


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