今でもデパートでは駅弁大会と称して各地の駅弁が並び大変な賑わいを見せています。小さい頃、家族で汽車旅行をした折にも、駅弁の思い出がよみがえります。停車時間中に会計を済ませるあわただしいときは、緊張が走りました。「明治 大正 昭和 駅弁ラベル大図鑑」より・・・
御殿場線の山北駅 20銭のお寿司弁当のラベルです。大正期でしょうか。車内でも販売していたようです。空箱は座席の下に入れるようにと注意書きがあります。
駅弁の価格も時代とともに変動しています。大正の初めには25銭だった上等弁当が30銭に、更に大正8年には40銭に値上げされましたが、大正末期から不況時代のまま世界恐慌に入ったため、11年には35銭、昭和5年になると30銭に値下げされました。あまりの変動に印刷が間に合わず価格がゴム印で押してあったそうです。
流線型の車体から、大陸を走っていたアジア号を連想しますが、昭和初期には山陽本線でこんな列車が走っていたのでしょうか。
岡山駅前の三好野本店さんは、現在でも健在です。昭和11年、ダイヤモンド社発行の『旅窓に学ぶ』には当時の駅弁の種類が紹介されていました。弁当・上弁当・並弁当・鮨・稲荷鮨・鯛鮨・ちらし・ハム鮨・サンドウイッチ・鯛飯・鰻丼・幕の内・お好み弁当 などです。ハム鮨って想像できません。
下総人様からコメントを頂戴しております。
2枚目の絵は広島駅となっていますが、機関車は南満州鉄道の特急亜細亜号の機関車パシナかパシハだと思われます。
3枚目4枚目は国内のC53、C55の流線型と思われます。C55の流線型は戦後普通型に改装され、関西線を走っていました。昭和37、38年高校に通っていた私は、近鉄益生駅へ到着する頃、駅の横を並走する関西線を走る名古屋行上り列車といつも遭遇していました。驚くなかれ、その列車はC55の重連!そして機関車のナンバーから元流線型で戦後普通型に改装されたものであることが判りました。
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