花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

水野さんの堀木町

2022年02月21日 | レモン色の町

水野さんが“旧四日市を語る”に、斎場があった堀木町のことを書いてみえた。

昭和13年の四日市地図

昭和初期の堀木町は、四日市の西端で三滝川の南側に位置し、戸数わずか十数戸の田園の中のちいさなまちであった。地籍は浜田1番地からあり、浜田地区農業用水の三滝川取り入れ口の井堰がある重要なまちであった。

市内から通ずる道は三本あり、中部電力四日市変電所から西町へ通じる道、現堀木公園北側を通る道、現水道局前から弥生館前を通る道であった。どれも4乃至6メートルの狭いもので、特に現水道局前の道は、通称“サンマイ道路”と呼ばれる主要な道路で自動車の避難場が所々に設けられていた。道路の脇には農業用水路がありきれいな水が流れていた。ここでは洗い物などの生活用水にも利用され、鮒、もろこ、ナマズ等川魚もたくさん捕れて、子供らの魚取りも盛んにおこなわれた。町内には農地の他に、河川敷と用水の取り入れ口の南東と斎場の東側に三戸の養豚場があり、田圃の中には養鶏場が二戸あって餌の時には一斉に鳴く声が聞こえてきたものである。

昭和43年のゼンリン地図より堀木町

堀木町の中心に集会所があり、ここには祭礼用の大太鼓や山の神の神殿、幟や法螺貝が保管されていた。横に立つ火の見やぐらには半鐘が吊るされていた。集会所の北50メートルほどの処に山の神跡の松林があり、幟用の支柱が保管されていた。現在、祭神は諏訪神社の山津見神社に合祀され、四日市祭りの際には高張提灯を献灯している。宮さんの前には斉木家の竹藪があり、椋の大木がそびえていて遠くからの目標でもあったが空襲で焼失した。

三滝川の堤防の南側には、伊藤醤油(山小)の大きな工場と倉庫、事務所があり倉庫は昼でも薄暗く“ロク”と呼ばれる六石入りの木樽が並んでいた。周辺には松林があり、狸が住んでいるといわれていたが、昭和13年8月の三滝川の決壊により松林は工場と共に姿を消してしまった。

東側には“中部電力変電所”が建ち、町で唯一の鉄筋コンクリート建てで、変圧器のブーンという音が聞こえて、鉄塔の灯は不夜城のようであった。

昭和43年 真ん中を柳通り(湯の山街道)が横断する堀木町南の斎場付近(現 図書館)

<追伸>水野さんへお電話したのですが、不使用でした。


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