花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市湊物語⑮臨港橋その4

2021年08月28日 | レモン色の町

和13年頃

大正14年 千歳橋架橋と千歳運河の造成工事

今の千歳運河 遠くに千歳橋が望める(現在)

千歳橋 現在

千歳橋 東向き 突き当りが日本板硝子さん 小学校の頃港の写生に来た。橋を渡った左に食堂があったのを記憶していますが・・・

国指定重要文化財<建造物 近代化遺産>末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)<掲示板より>

末広橋梁は、現役では最古の可動橋で、昭和6年12月に製作されました。この橋梁は、四日市港修築事業で埋め立てられた末広町と千歳町の間の千歳運河に架けられています。四日市港修築事業は、明治43年から昭和3年までと、昭和4年から同11年までの2期にわけて行われました。千歳運河への架橋は第2期修築事業中に行われ、末広橋梁の他にも、幹線道路には可動橋である臨港橋も架けられました。

橋梁は全長58メートル、幅4メートルの全体では五連の桁より成りますが、鉄道基点よりの第二煉目から第四連目の三連が可動橋本体部にあたります。中央の一連(第三連目)が、第二橋脚上に立てられた門型鉄柱側に跳ね上がる跳開式の可動橋です。可動部分の前後に架かるプレートガーダーには、明治時代の「作練式」という桁が使用されています。橋梁の設計は、山本卯太郎の主宰する山本工務店が行いました。

山本卯太郎は、近代日本における橋梁コンサルタントの草分け的存在であり、架道橋を専門としました。末広橋梁は、彼の代表的橋梁作品として橋梁技術史上高い価値があります。

また、四日市港の発展過程の中で、陸上運送と運河舟運が拮抗していた時代状況を物語る典型的な土木構造物であり、四日市旧港港湾施設とともに我が国の港湾の近代化を示す代表的な施設です。

近代化産業遺産:末広橋梁は、経済産業省から「大量輸送を支えるため近代化・国産技術化が急がれた鉄橋・鋼橋の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定されました。(平成21年2月23日認定)

             平成21年6月  四日市市教育委員会

末広橋梁の現在 路線内への立ち入り禁止の表札が立つ 撮影に入る人が多いのでしょうか?

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