花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

街角メッセンジャー

2024年08月13日 | レモン色の町

澤宮 優・文 平野恵理子・イラスト『昭和の消えた仕事図鑑』角川ソフィア文庫より

“街角メッセンジャー”という仕事をご存じだろうか?

終戦直後の昭和20年代の前半、東京の新橋駅前に「よろず承り屋」が誕生した。家庭に電話は普及しておらず、公衆電話もほとんどなかった混迷の時代に、急用で相手に伝言したいとき、承り屋で手紙や伝言を渡すと、自転車で相手方に届けてくれた。この仕事を思いついたのは満州からの引き揚げ者だった。引き揚げ者の戦後の生活は厳しいものだった。開拓団として出国する時は多くの人に万歳!で見送られたが、敗戦となり命からがら帰国しても、多くの人々には、冷たい目で迎えられたのではなかったか?お金もない彼らが生き抜いてゆくためには、知恵をしぼり、誰もやっていない仕事をする必要があった。そんなひっ迫した状況から生まれたのが「街角メッセンジャー」だった。

新橋の「よろず承り屋」には賃借り自転車と机が置かれて、その上には封筒と便せんが置かれていた。公衆電話には人が列をなし、しかも回線が良くなかったので、なかなか相手に通じない。そんな時代をいち早くつかみ、電話代わり、電車代わりに利用されたのが“街角メッセンジャー”だった。料金は、3キロまで10円、2キロ増えるごとに10円増しになった。これで日収40~50円程。昭和24年の米1升の価格が143円だったから、決して良い賃金ではなかった。

メールやラインで簡単につながってしまう現代。必死になって連絡するすべを模索した当時に思いを馳せてみるのも如何でしょうか?言葉を伝えることの大切さを・・・。

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