花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

大正ペスト騒動②

2021年08月01日 | レモン色の町

大正5年12月、必死の防疫が効を奏し、その月の感染者は6名にとどまった。終息を迎えた安堵の気持ちと再発防止を祈念して、12月27日、諏訪神社で終息報告会、諏訪公園では祝賀会を開いて大正6年の新年を迎えた。

海蔵村で、網を使っての捕鼠隊の活躍

ところが、1月に1名、4月に1名の患者が発生し、再度の恐怖が懸念された。そこで関係者と市民の徹底した防疫対策が実施され、ペスト禍は半年余りで完全に鎮静化した。発病者61名、内54名が死亡している。なんと9割近い死亡率だった。このほか下野村と海蔵村で各1名の死亡が出ている。患者の約半数の30名は、東洋紡の建つ浜町から、次に北条町の11名、北納屋町の5名、浜一色の3名、その他 中納屋・南納屋・八幡町から罹患者が出ている。

中央に架かるのは旧慈善橋。西に四日市病院、東 関西鉄道沿いに伝染病消毒所と細菌検査書が建つ。

続出するペスト患者の為、市では市立伝染病院を亜鉛版で囲い、手術室・細菌室を建設して患者を収容した。

二硫化炭素ガスによる燻蒸中の倉庫

また、健康者の隔離所として、尾上町の公有地に隔離棟二棟と炊事場を建設し、一時的に第6尋常小学校の健常者を移した。

隔離所へ運ぶ衣類、夜具、携帯品の消毒

ペスト菌の侵入経路は印度綿で、チューチコリ・ポンペイ・シンガポール・上海を経て四日市港に陸揚げされていた。疑わしい船は8月16日入港の呂宋(ルソン)丸であったが、調査結果は不明に終わった。 椙山 満

このペスト騒動が一因となって四日市港の港勢は、名古屋港に追い抜かれることとなる。  最終回に つづく

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