松原町北ジャスコの西側にある“聖武天皇社”に寄った。毎年7月16日は松原の大祭(松原石取祭)が行われており、幟も残ったままの後片付けの日に伺った。
「続日本紀」によると、天平12年(740)の藤原広嗣の乱の際、聖武天皇は伊勢に行幸した。この時に朝明郡衙(朝明郡の役所)に泊まったという。
境内に建つ聖武天皇の万葉集にもある歌碑(佐々木信綱 筆)に「妹(いも)に恋い吾(あが)の松原見渡せば潮干の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る」(いとしい人に焦がれて自分が逢うことを待っているという名の松原を見渡すと、潮の引いた遠浅の海に鶴が鳴いてずっと飛んでいくことだ)とあり、この松原を今の松原町の聖武天皇社付近と解釈する説がある。当時松原村は海岸であって、富田一色村は砂浜であった。(四日市市のホームページより)
伝承では天皇社は、朝明頓宮(とんぐう)の跡に鎌倉時代の安貞元年(1227)に創建されたと伝えられているので、最終的に海岸沿いの松原町に落ち着いたことになる。氏子数800軒。前には公園があり、地元の人々に大切にされている印象を受けた。
天皇個人をまつる神社は全国的にも珍しく、桑名の天武天皇社、富田地区の日本武尊由来の鳥出神社と、香川県に安徳天皇社がある。(ウィキペディアより)