新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

認知症

2009年12月24日 08時12分02秒 | 身辺雑記

 テレビのある番組で、認知症を取り上げていた。

 物忘れでも、「年相応」と「認知症」とでは、かなりの違いがあるとのこと。

 次のような説明だった。

(かく言う私自身、物忘れがひどいので、違っていたらごめんなさい)

  1,年相応と思っていい物忘れ

    ① 花の名前を覚えられない。

    ② 新聞を取りに行ったのに、何を取りにきたか,

               分からなくなる。

  2.認知症を疑う物忘れ

    ① 何日とか何曜日の感覚が薄れる。

    ② 逢ったばかりの人に、「やあ、しばらく!」などと言い、

               逢ったことを忘れている。

 私の場合、1-②はしばしばやっている。2-①だってなかったわけではない。

 ゴルフの約束をすっかり忘れ、山の中へ写真撮影に行ったことがあった。15年も前のことである。

 ただし、2-②については、まだ経験していない。

 テレビの話では、認知症になると、段取りが下手になるらしい。

 そう言えば、すべてに亘って、私も処理スピードが落ちた感じがする。

  つまり、「年相応の物忘れ」も「認知症による物忘れ」も、初めのうちは区別がつかない。

 今朝はこんな記事を書いているが、私は先日「認知症の診察」をしてもらい、満点だったので、今日のところは心配しているわけではない。

 もっとも、誤診だったかもしれませんが……。

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墓参り

2009年12月22日 05時53分00秒 | 身辺雑記

 昨日は墓参り。息子の嫁が、そこに葬られている。

 お墓の掃除は、息子が29日にすることになっている。その手間を少しでも軽くするため、昨日、老夫婦が大方の作業を済ませた。

「29日には□◇がきますよ。私たちは、また来年ね。風邪をひいちゃ駄目よ」

 お墓に向かって、カミさんがそんなことを呟いていた。□◇とは息子の名前だ。

 私は孫の安穏について、報告とお礼を言った。

 いずれは私もその墓に入る。カミさんは私にも何かを言うのだろうか。

 両隣の墓にも手を合わせた。今からご近所のお付き合いだ。

 その寺に、カミさんの両親の墓もあった。ついでのことで恐縮なのだが、花を手向けてお線香をあげた。私たち夫婦のいつもの行動パターンだ。

 カミさんは、その墓にも何かを言っていた。いつものことだった。   

 合わせて、お寺さんへの年末のご挨拶。

 昨日の東京は、少しばかり風があった。

 その風が、狭いところを吹き抜けて行く。とても冷たかった。

 このようにして、今年も暮れて行く。

 あまりいい年ではなかったと、人々は言っている。なにしろデフレスパイラル。

 しかし、私にとっては、今までのところ、平穏な1年であった。

 ガンの再発は、幸いにも兆しがない。・・・・・ないようだ。なければいいなあ・・・。

 これから仕事場へ。

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夢あればよし

2009年12月21日 06時03分00秒 | 写真俳句・エッセー

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 国民学校1年生の冬(昭和16年12月8日)、大東亜戦争が勃発した。

 そのころの私たち愛国少年は、「兵隊さんになること」が夢だった。憧れていた。

「一生懸命に勉強して、予科練に入る!」 

 私が憶えている具体的な「夢1号」だった。

 可哀想な夢だったかもしれない。しかし、当時は真剣そのものだった。

 親たちがどのように思っていたか、今は知るよしもない。

 昭和20年8月15日、敗戦によって、その夢も儚くも消えた。

 それ以降、夢はいろいろと変わった。厳しい現実に直面しながら、縮小し変遷した。

 だが、その時代その年齢なりに、夢はあった。

 ささやかながら、今もなお、夢は持っている。

 もちろん、宝くじではない。

   小粒でも夢あればよし八つ手咲く   鵯 一平

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ひよどり草紙「はんぶんこの話」

2009年12月18日 08時44分12秒 | 草紙

「はんぶんこよーっ!」

 R沙から、電話。元気な声がキンキン聞こえる。若い女の声は甲高い。

「3億円当たったンでしょ?」 

 とっさに、「バレた!」と悟った。それにしても、情報が早過ぎる。

「3億円って、一体何の話だい?」 この際は、トボケる一手だ。

「トボケたって駄目よ!昨日のブログで見たンだから……。宝くじの話よ!」 

 やっぱり、昨日の「ほろ酔い気分」で知ったのだ。R沙は以前から、ブログを見ていた。

「莫迦を言うンじゃないよ。抽選は大晦日だぜ」 

「でも、当たりくじを買ったンでしょ!隠したって駄目だわ。はんぶんこがイヤなら、奥さんに言いつけるわよ!」

 これがR沙の脅しだ。いつもこの手で押しまくられる。

 さあどうするか。R沙が知ったとすれば、「はんぶんこ」では済まない。

 この話、カミさんには伝わらないが、すぐにS代には伝わるはずだ。R沙はS代の子分みたいなものなのだ。

 30代のR沙は、行きつけの小料理屋の女だ。いわば、チーママ。小柄なので30代には見えず、キュートなところが魅力だ。

 40代後半のS代は、私の主治医だ。私にとっては、愛人ながら怖い存在。

 そんなこともあってか、R沙はS代に一目置いている。姉貴分としての扱いだ。

 3億円を独り占めしよう。これは当初の胸算用。だが、うまく行って1億円になってしまいそうな展開だ。まさに口は禍の元。

 しかし、「はんぶんこ」の話に乗らなければ、カミさんに伝わり、ひょっとしたら、全額がカミさんのものになる危険性が生じる。

 それどころか、浮気がバレることになりかねない。モテる男の悲劇なのだ。

 カミさんは、親からの遺産をしこたま持っている。私として、離婚は絶対に避けたい。

 やはり昨日のブログは、迂闊の一語に尽きた。

 たかだか3億円。この際は、家庭の平和を選ぶべきか。

 私、R沙、S代が1億円ずつ。穏当な策かもしれない。

 どうせ買うなら、はずれくじにしておけばよかったのだ。あとの祭だ。

 とんだノーテンキな話でゴメンなさい。

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昨日は大安日

2009年12月17日 07時06分55秒 | 身辺雑記

 昨日、用事があって銀座へ。

 大安日とあって、宝くじの売り場が長蛇の列。

 1番窓口の列がもっとも長く、最後尾では係員が、「2時間半」という立て札を持っていた。

 アナウンスは、「○番と△番窓口は、今なら15分程度で買えます!」と叫んでいた。

 雨が降りそうな寒空にもめげず、短時間で買える窓口を知らされても、人々は動かない。

 固い信念なのだ。「2時間半」の長い列はビクともしない。

 そう言えば、有楽町駅前でも、「今日は大安日です!」、と呼ばわっていた。

「全ての人に、等しく大安日ではないか?」

 そんな思いはしたが、大安日に買った宝くじのほうが、億万長者になる確率が高いらしい。

 その様相を眺めながら、私はそのまま素通り。これでは絶対に当たりっこない。

 金輪際買わないつもりだった。

 だが、当たらないのも癪ではないか。四丁目付近の並んでいない売り場で、「当たりくじ」を買った。

 もちろん「連番」だ。これで来年の正月は、「億万長者」だ。お金の使い道を考えなければならない。

 今年の暮れは考えることが一つ増えた。 

 なにしろ昨日は、私にとっても大安日であった。

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