先ごろ、後輩のT.Y君が会社を辞めた。重要な役職に就いていた。
定年は過ぎていたのだが、余人をもって代え難く、頑張ってくれていたのだ。
聞いたところ、奥さんの体調が悪いとのこと。
T.Y君は、「罪滅ぼしのために看病をしたい」、と言っていた。
男にとって、「罪滅ぼし」という言葉には、特別の意味がある。
「罪滅ぼし」と聞かされると、私もドキッとする。カミさんには幾つもの「借り」があった。
カミさんに限らない。子供たちにも、申し訳のないことをしていた。そんな時代があった。
しかし、「罪滅ぼし」という気持ちを持たず、なんとなく流してきてしまった。
いまさら「罪滅ぼし」とは言えない。そのための行動もとれない。
なんの「罪滅ぼし」もせずに、さらに「罪」を重ねているような感じだ。
考えてみれば、かなり困った私なのだが、もはや「罪滅ぼし」の言葉は使えない。
なんとなく、「なし崩し」をしていくしかないようだ。
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