テレビのある番組で、認知症を取り上げていた。
物忘れでも、「年相応」と「認知症」とでは、かなりの違いがあるとのこと。
次のような説明だった。
(かく言う私自身、物忘れがひどいので、違っていたらごめんなさい)
1,年相応と思っていい物忘れ
① 花の名前を覚えられない。
② 新聞を取りに行ったのに、何を取りにきたか,
分からなくなる。
2.認知症を疑う物忘れ
① 何日とか何曜日の感覚が薄れる。
② 逢ったばかりの人に、「やあ、しばらく!」などと言い、
逢ったことを忘れている。
私の場合、1-②はしばしばやっている。2-①だってなかったわけではない。
ゴルフの約束をすっかり忘れ、山の中へ写真撮影に行ったことがあった。15年も前のことである。
ただし、2-②については、まだ経験していない。
テレビの話では、認知症になると、段取りが下手になるらしい。
そう言えば、すべてに亘って、私も処理スピードが落ちた感じがする。
つまり、「年相応の物忘れ」も「認知症による物忘れ」も、初めのうちは区別がつかない。
今朝はこんな記事を書いているが、私は先日「認知症の診察」をしてもらい、満点だったので、今日のところは心配しているわけではない。
もっとも、誤診だったかもしれませんが……。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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という私も、ずうと以前に、文学の勉強会をカレンダーに書き込んでいながらスッカリ忘れたことがあります。それからは、過ぎた日付は斜め線で消すようにして、なんとか無事に過ごしているしまつです。
認知症、なりたくないですね。
ひよどりさんの診断は間違いなく誤診ではないですよ。
私は今朝、カミサンから「和室の雨戸を開けたの?」と言われ、「あっ、和室はまだ!」と応えたところ、開けてあり、ビックリ。この症状は認知症でしょうか?
趣味や仕事がある人は認知症になりにくいと言われてますので、あと18年頑張って下さい。(^_^)
煤払い~遠いことばになりにけりです。
水に浮かぶ鳥はいいなぁと、いつも思います♪
ラジオで介護と高齢の話題が多いですね。
認知はいつか行く道…
でも年寄りが認知の年寄りを看てる現状。
理不尽な世の中を歩んでいるのですね。
ひよどりさんは、ただの物忘れですよ(^_^)v
ワタシも順調に物忘れ→認知に進むでしょう!
私は心配性。
その私にとって、最大の心配は「認知症」です。
次は「足腰の衰え」で「歩行困難」になること。
その点、ダンスはいいのでしょうね。
「和室の雨戸」については、まったく問題はありません。
私は納戸にも本棚があります。
ある本を探しに行き、いつの間にかそのことを忘れ、別な本を読みふけったりします。
あとで、別な本を探しに行ったことを思い出すのです。
18年は元気で!
75+18=93 結構キツイですよ。
(この程度の足し算はできます)
投稿者名の書き忘れも、認知症ではありません。
「老老介護」の話を見聞することが多いです。
一つは「家族」の粘着力が弱ったのでしょうか。
「子供が親の面倒を見る」という仕組みが崩れました。
従って社会の仕組みに期待することになるのですが、まだ十分な体制整備はできていません。
結局は「老老介護」となります。
覚悟をしています。
子供達からは「徘徊」「食べたのを忘れる」タイプのボケになるだろうと言われています。
ぐれてやる それなら先に 呆けてやる
テレビコマーシャルに出てくる、見慣れた役者の名前忘れて、女房に聞くと、お互いに見てるのに「判らぬ」の返事に、俺ばかりではないのだと、変に安心する今日この頃です。
それにしても、来年の免許更新での、認知症検査にパス出来るかと、今から心配してます。
そうです、そうです、先手を取った方が勝ち。
と言っても、やはり痴呆症は困りますねえ。
自分が分からなくなるのは、辛いより悲しいですね。
その悲しさすら感じなくなるのですから、何とも言いようがありません。
忘れるのは仕方がないようです。
自分を認識出来なくなるのが困ります。
その点、夫婦げんかは「自分」がある者同士なので、極めて健康なのかもしらないですね。