私は論理的な人間ではない。
一見はそのように見えるが、その実は、思いつきで行動していることが多い。
囲碁の一手の例で言おう。
次の一手は、A点、B点、C点のどれかだな……?
まずはそのように思う。
Aの場合はどうなるか、Bの一手はどこに問題があり、Cと打てば相手はどのように打ってくるだろうか。
一応はそんなことを考え、ヘボはヘボなりに、しかつめらしい顔で盤面を睨む。
しかし、実際に打つのは、AやBやCではなく、Z点へ石を置く。
なぜZ点なのかと言えば、まさしくとっさの思いつきなのだ。
こんなことはしばしば。だから、私の囲碁は弱いのだが……。
面白いことに、いや至極不思議なことなのだが、そんな打ち方であっても、成功することがある。
なぜ成功するのか分からない。もともとA,B,C点を考えていたことが間違っていたのだろうか。上手な人であれば、はじめからX、Y、Z点の附近を考えるべきだったかもしれない。
つまり私の行動の多くは、論理に基づかず、とっさの思いつきによって始まる例が多い。
だからと言って、失敗ばかりでもなかった。
つまり、思いつきで行動を起こしても、偶然のラッキーに救われてきたとも言えるようだ。
おそらく今後も、そんな繰り返しで生きて行くに違いない。
それが私の身にあった生き方なのだから。
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