新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

十二月八日

2009年12月08日 07時41分04秒 | 写真俳句・エッセー

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 昭和16年12月8日未明(現地時間では7時49分)、日本軍が真珠湾を奇襲した。

 日本の艦隊から飛び立った353機が、アメリカ艦隊に襲いかかり、壊滅的な打撃を与えたのだ。

 当時私は国民学校の1年生だったが、ワクワクするような気分だったことを憶えている。きっと、親たちがそのように話していたに違いない。

 早朝がら、ラジオが「ガアガア」とがなり立てていた。

 あとで聞いたところでは、「本日未明、西太平洋方面において戦闘状態入れり」という報道だったそうだ。寒い朝だったことが記憶に残っている。

 それから後は、官民挙げて、マスコミも総動員して戦争に突っ込んで行った。

 もうその時から、日本は総動員ムードであった。

 もちろん、100パーセントの人々が賛成ではなかったのだろうが、「愛国少年」に仕立て上げられて行く運命だった私たちは、親や先生やラジオの喧噪から、挙国一致を感じていた。

 このような高揚感は、私や私の周囲だけではではなかった。国中が大騒ぎだった。

 あの亀井勝一郎氏ですら、当時は、「勝利は、日本民族にとって実に長い間の夢であったと思う。即ち嘗てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来たのである」と言ったというのだ。(半藤一利著「昭和史」より)

 市井の人々の騒ぎは推して知るべしであった。

 開戦の責任は、日本にばかりあったのではない。アメリカにも、連合国側にもあったのではなかったのか。勉強をするにつけ、その思いは強くなった。

 初めは勝利に沸き、その美酒に酔っていた日本。決して戦争指導者だけが騒いでいたわけではなかったのだ。

 戦争に負けてから、いかにも平和主義者のような顔をした知識人や新聞社も、あの当時は、我先に戦争を礼賛し、必勝を確信していたではなかったか。

(もちろん、戦争に反対し、獄中に繋がれていた人たちもあったのだが)

 しかしそれから5年足らずで、大敗北を喫することとなった。

 敗戦後は責任追及と民主主義の徹底で再び大騒ぎ。

 その上、勝者により敗者を裁く東京裁判によって、すべてを打ち砕かれてしまった。

 日本人としての気概も失った。

 戦争貫徹や一億総玉砕を叫んでいた人たちも、にわかに平和主義者に変身した。

 アメリカからお下げ渡しの憲法ですら、もはや改正出来ない日本になってしまった。

 今日は68回目の開戦記念日だ。

   十二月八日のノラはもの言はず  鵯 一平

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。

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コメント (12)
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