私が育ったころは、滅私奉公が喜ばれた。
極端な例は軍人社会。兵隊さんは滅私奉公だ。
軍人でなくとも、滅私奉公が社会の規範だった。教育ばかりでなく、空気がそうだった。
戦争に負けて、軍国主義が姿を消した。
しかし、社会は滅私奉公を望んだ。
産業戦士とおだてられ、わき目もふらずに働いた。イヤ、少しはわき目もした。
戦後の荒廃から復興を遂げ、東京オリンピック前後から経済成長が始まった。
日本経済はどんどん伸びた。経済大国と言われた。みんなが鼻高々だった。
ハワイの土地を買ったり、ハリウッドの映画会社にまで手を延ばした。
「とんでもない日本人。アメリカの文化にまで手をつけ始めた!」 と、非難された。
非難されても構わない。行け行けドンドンだった。
そんな中で、ドカンとバブルが弾けた。
高度成長という言葉が消え、安定成長という言葉に置き換えられた。
「ゆとり教育」とやら、妙な言葉も流行った。
脇の人など見ないでいい。個性が大事だと言いふらされた。なんと個性人の増えたことか。
当然、滅私奉公も邪道に落ちた。
そんなところへ市場優先主義が入り込んだ。知恵が金を生み、金が金を生んだ。
自己責任という言葉も流行ったなあ。
当然なことだが、格差がどんどん大きくなった。
アメリカのバブルが弾け、全世界が金融不況となった。
実質経済も不況のどん底。世界中が喘いでいる。
政府は何をやっている!みんな声高に叫んでいる。私も小声で叫んでいる。
さあ、どうしてくれるンだ!
さあ、どうしてくれるのサ!
働くことを美徳と思わない。しかし、裕福は美徳で格差は悪徳。
子供たちにどんな教育をするのだろうか。
「社会の役に立つ人間になれ!」 そんな言葉は、もう通用しない。
もちろん、滅私奉公は死語になって久しい。
別館として、写真と俳句のブログ「いのちの囁き」を開いています。
よろしかったら、そちらへもお出でくださいませ。
→ こちら