なまじ希望を持つから腹が立つのです。
果たせない希望は持たない。どうなっても意見は言わない。
どうせうまく行くはずがないのです。うまく行かないのが普通なのです。
そのように思えば気が楽ですね。
小沢一郎氏がどうなっても、それはそれでいいではありませんか。
彼にとって重大事件でも、考えてみれば、私の生命に別状がありません。
自民党政権になろうが、民主党が政権を奪おうが、どちらでも同じ。
どっちの政党でも、大きな顔をしている議員は、ほとんどが二世・三世か、あるいはその周辺に群がっているのです。
利権の渦の中で育ったようなもの。立派なことを言っているようでも、底は割れています。
このようなことを言えば、怒り出す向きもあるでしょうが、事実だから平気です。
苦労を知らずに育った二世、三世議員の政治指導者には、期待をしないことです。
民主主義と言ったって、「民」の真の苦労を知っている人が、政治指導者になっているか?
改革の旗手のようだった小泉純一郎ですら、息子を後継者にしようとしているのです。
それこそ、「笑っちゃうよ、まったく」です。
そんな選挙システムがある限り、この国に明るい展望は開けない。自信があります。
もはや、そんなものなのですね。
諦めが肝腎なのでしょう。
自分たちの身分や収入には手をつけず、天下り禁止や公務員制度改革を叫んでも、迫力がありません。本気度を疑います。
まず隗より始めよなのです。議員定数を削減したり、歳費の減額に手をつける人が出てこない限り、絶対に無理です。
世の中はそんなものなのですね。私たちは諦めるべきかもしれません。
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