新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

われもいずれや

2009年03月12日 07時51分19秒 | 写真俳句・エッセー

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春野辺のわれもいずれやほとけのざ 

  写真の画像データを格納するため、容量の大きい外付けハードデイスクを取り付けた。

 私が撮る写真などはたかが知れている。死ぬまで容量としては大丈夫のはず。

 ところが、後輩たちから異論が出た。ハードデイスクが壊れたらどうするのか。容量が大きければ大きいほど、失われるデータが多くなる。

「過去のデータが、一瞬にして消えますよ!」 

 なるほど、なるほど・・・。

 やむをえず、バックアップをとることとした。

 買い込んで持ち帰ったら、カミさんのセリフがふるっている。

「お父さん、遺産をあまり増やさないでね。形見分けが面倒だから・・・」

 このセリフにも説得力があった。

 なるほど、なるほど・・・。

「捨ててくれていいんだよ。どうせオレの写真なんぞ、たかが知れているんだ」

「そうはいかないの。お父さんが一生懸命に撮った写真、子供たちだって捨てにくいわよ。だから、死ぬまでには整理して下さいね」

 私にとって喜んでいい話なのか、怒るべき話なのか。私の写真に価値を感じていない。

 一瞬怯んだので反撃のチャンスを失い、モグモグ言って終わりにした。

 設備しているハードデイスク容量は、元気で撮りまくっても10年分は十分にある。

 それほどの容量を設備したとは、私も妙なヤツだ。10年は元気で撮影し続けるつもりなのだ。

「いつ死んでもいいや!」 

 日頃はそんなことを言っている私だった。しかるに実際の行動は、平均寿命を超えても写真を撮りまくる前提に立っている。

 考えるまでもなく、男性の平均寿命まで生きれば十分なのだ。病気を抱えていて、平均を超えられるはずがない。

 ところが行動を起こすときは、そんな厳しい現実を忘れている。

 決して避けているわけではないのに、病気の再発など、眼中から消え去っているのだ。不思議なものだ。

  鴨残る生きるってことなんですか   鵯 一平

 過日の私の俳句だ。

「そんな暗い俳句、感心できません」  これはブログ仲間のアドバイスだった。

 しかし、私は暗い気持ちではいない。むしろ明るい。現実を明るく受容している。だって、仕方がないじゃありませんか。

 そんな私であればこそ、今後10年間以上も使える設備を備えてしまうのだ。

 楽天家ではないが、悲観論者ではない。現実を淡々と受け止めているつもり。

 統計上の70歳男性の余命は、14.69歳。75歳男性の余命は11.31歳という統計もある。つまり、70歳を越えている男性は、平均として85歳までは生きているデータもある。

 死がすぐそこに来ているかもしれない。15年先かもしれない。

 生きにくい世の中、生きていることがベストという保証もない。

 だったら、淡々と受け止めるしかないではないか。つまり、成り行きまかせ。

 無意識のうちに、10年も15年も生き続ける前提で、設備をしてしまう所以である。

 もっとザックリ言えば、ノーテンキなのです。 

   春野辺のわれもいずれやほとけのざ   鵯 一平

 ホトケノザは東アジア、ヨーロッパなどに広く分布する越年草。日本でも、本州、四国、九州、沖縄に分布。花期は3月~6月。

 春の七草の仏の座は、キク科のコオニタビラコ。正月の季語で、写真の「ほとけのざ」とは別種である。

 別館として、写真と俳句のブログ「いのちの囁き」を開いております。

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コメント (18)
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