不思議なことに、私は初恋に憧れているのです。
いいえ、具体的な「初恋の人」への憧れではありません。
実は私、初恋ってあったのかどうか、まったく意識の中にありません。
忘れたのではなく、初恋がなかったように思えてならないのです。
女の人を好きになったことがなかったわけではありませんよ。
むしろ多すぎたかもしれないほどです。
「そうなら、その中の初めての人が、初恋の人ではないか!」
そんな指摘をされそうです。ごもっともなご指摘です。しかし、どれが初めてのことだったかが判然としないのです。
むしろ、初恋を明解に意識できている人がいるとしたら、羨ましいし、不思議にも思います。
いつの間にか感じ、いつの間にか終わっていた。それが初恋ではないか。私の初恋観です。
島崎藤村の詩に、「初恋」があります。少年時代に口ずさんだ詩です。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひたり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
「あの人の白い手から、薄紅の林檎をいただいたとき、初めて人を好きになったのです」
藤村の初恋を意識した瞬間です。
このような実感が、私にはありません。ひょっとしたら、とても不幸なことかもしれませんね。
「あれが初恋だった!」
そんな意識がなかったまま、世を終わろうとしている私。
林檎畑の樹の下に
おのずからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
「リンゴ畑の木の下、こんなに踏み固めてしまったわァ。いったい誰が歩いて来たのでしょうねー」
こんなセリフは、年上の女性に違いない。
また、唸ってしまう私です。
藤村の「初恋」は、秋の林檎畑です。しかもその相手は年上の人。
しかし、私のイメージは春です。
春と言えば桜ですが、あのような狂おしい華やかさは、初恋に相応しくありません。梅の花のような厳しさにも、ついて行けないような違和感がありますね。
ふんわりと包んでくれる温かい菜の花。私にとって、初恋の花は菜の花しかありません。
と、力んだところで、私には具体的な恋がなかったのです。
今になって悔やんでいます。
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