写真は、新たに芽を覚ました若芽だ。春の陽の下で、希望を燃やしている。
数十年前、私にもそのような時代があった。
昭和20年8月15日までの軍国少年時代は、生命を捨てる覚悟で燃えていた。
「しっかり勉強して予科練に入り、いずれは国のために特攻隊!」
夢と言うより、強い使命感であった。
戦争に負け、一時はシュンとなった。戦後復興の槌音とともに元気を取り戻した。
「いずれは特攻隊!」と思っていた限りある生命が、敗戦と共に先へ延びた。
空襲から逃げ惑う辛さがなくなった。逃げる辛さが消えた喜びは大きかった。嬉しかった。
中学校、高校、大学と進んだ。
しかし、軍国少年時代のような燃える気持ちはなかった。
「国のために……」といった感懐を、強く抱いてはいなかった。周囲の空気に流されていたと言ったほうが適切かもしれない。
特攻隊は「死への憧れ」であった。強い使命感に突き動かされていた。
その憧れを奪われた後も、私には「死への郷愁」があった。
早死にを予感していた。現実とは脈絡のない「死」であった。「滅びへの憧れ」めいていた。
結婚をして家庭を持った。責任を強く意識することとなった。当然のことだ。
家庭を守る責任、社会人としての責任、企業人としての責任。
そんな責任感に突き動かされ、毎日の生活に追われた。
責任を果たすため、「死との闘い」があった。逃れなければならなかった。必死で闘った。
やがて、責任も少しずつ軽くなってきた。
同時に、「死の恐怖」も薄らいできた。
もはや「死は現実」であり、「死は必然」のものとなった。
親友の幾人かが、すでに冥土へ旅立った。
悲観的に言っているわけではない。強がりを言っているつもりもない。
ましてや自棄っぱちを口走っているのでもない。
身近な必然となった「死」。それを現実のものとして受け止めているだけだ。
「必然の死」とどのように闘うか。どのように迎えるか。
今までの生き方とこれからの生き方が、強く問われることになるのだ。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。
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木々の若芽も次々に芽吹く季節になりました。伐採された木の切り株から出てくる若芽は、ひこばえというそうです。
生があって死がある。ひよどりさんの人生観をお伺いして、またひとつ考えさせられました。私もまた、次につなぐ新たな生への架け橋となるような、そんな人生をこれからも目指していきたいと思います。
年老いてくると、いろいろ考えます。
いや、若い頃は若い考えの元に行動しておりました。
老いたればまた老いたる立場で考えます。
考えてばかりいてはいけないでしょうが、時には立ち止まって考えています。
まだ達観には到達出来ない我が身を、愛おしく感じます。
そして、本日十三詣りに行った孫の姿見て、小学生の頃の軍国主義教育を思いつつ読ませて頂きました。
十三詣りとは懐かしい。
今も風習が残っているとは嬉しいですね。
戻りたくても戻れない・・・
遙か昔になりました。
私の知り合いに88才になるご夫人がいますが、
岡山の空襲で家が全焼した事と、戦後の食料難で苦労された事をよく話されます。
私の父も88歳です。
戦争のこと、戦後の事は、未だに語りません。
先ほどのご夫人の話を聞いて、父が戦後どのような気持ちで生きてきて、現在どのような心境で自分の命を見つめているのだろうか。
私も還暦を過ぎて、そのようなことを考えるようになりました。
その後の人生を大きく変えるような気がしました。
私は5歳の幼児。 ようやくもの心がついたころです。
死を意識したのは10代後半のみ、だったような気がします。
病気になって死ぬという不安を感じていました。
もちろん、具体的な、現実的な理由がありました。
状況が段々よくなるに連れ、死は次第に遠くに
行ってしまいました。 その後病気らしい病気もしないで、
50年もたったら、更に遠くなり、最近は殆ど考えなく
なりました。
一旦、何かあればショックは急激に来るのでしょうね。
それも何だか怖いような気がします。
88歳のお父上であれば、戦争・戦後は青年時代でした。
もっとも苦難の時代に青春を送ったのですから、言えぬご苦労もあったのでしょうか。
あっさりとは話せないのでしょうが、聞いてあげられるといいですねえ。
良きにつけ悪しきにつけ、戦中戦後の状況は大きな影響を与えたと思います。
「天皇陛下のために死ぬ」と意識していたのは、小学校の高学年以上だったのではないでしょうか。
「いのち」はとても軽かった。
戦後の価値逆転も大きなショックでした。
一学期まで使っていた教科書を墨で塗りつぶしました。
「焼け跡闇市派」という言葉がうまれました。
あれ以来、「国」が私には明確に存在しています。
一度意識していた「死」を忘れ、今また強く意識しています。
これは戦争とは無関係かもしれません。
年々体力の衰えを実感するようになったせいか、身の回りの整理をするようになってきました。
避けられない死を自然体で受け止められるように、精神の安定を図っているのも整理の一つかもしれません。
まずは、あらゆる欲を持たないことを心がけています。
私はそこに行くまでの病気、心身の衰えが不安です。
家族に迷惑をかけたくないなあ、と思いますが、こればかりはどうしようもないのでしょうか?
美しい晩年、美しい死など、ありえないのでしょうね。