航空幕僚長が更迭され、その後に停年退職となった。
6千万円ほどの退職金が出たのだそうだが、辞退しろとか返納しろとか騒ぎになっている。まことに愚かしくも浅ましい論議だ。
今の日本国は、「村山談話」が政府見解だ。現段階において、政府高官や自衛隊幹部は、その「談話」から逸脱してはなるまい。
個人的な意見も言えないのかと反論もあったが、高級幹部が論文を書いて公表すれば、個人的なこととは言えない。政府の見解に反していると言われても当然だ。
懲戒解雇にはならないにしても、しかるべき措置があっていいと思う。
この問題は、ここで終わり。
問題にすべきことは、今後も「村山談話」をこのまま生かし続けていいのかということだ。
1995年(平成7年)8月15日の「村山総理大臣談話」には、「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで・・・」となっている。
これを読み解くかぎり、「日本のみが悪かった」と言っている。
日本が国策を誤り、武力を恃みにして他国を侵略したとなっている。
まさか開き直りはできないから、これはこれで仕方がなかったのかもしれない。
しかし、「東京裁判」を指揮したマッカーサー元帥が、朝鮮戦争の後、アメリカ国会において、「日本の戦争は自衛のための戦いであった」と証言している。控え目に言ったとしても、「当時の日本としては、やむにやまれぬ面もあったのだ」ということになるではないか。
「自衛戦争だったのだから、中国やアジア諸国を侵略し、残虐行為をして当然だ」と言いたいわけでは断じてない。そこは微妙だが誤解してほしくない。
「領土の拡大」のみを目的としていなかったのだ、と私は言っているのだ。
それを単に、「国策を誤り」の一言で済ましていいのだろうか。そこに疑問がある。
重ねて言いたい。残虐行為を正当化しているわけではない。残虐行為はもっとも卑劣な行為だ。残虐行為があったとすれば、まことに申し訳ないことであり、恥ずべきことだ。
しかし、そこに到る過程において、日本だけを「悪の権化」としたままでいいのか。私の言いたいのは、その点についてだ。
勝者が歴史を書き替える。それが過去の世界的な通例だった。
東京裁判も、その一例となっているのではないか。
民族が生き続けるため、歴史はとても重い。誤った歴史観を植え付けられたままでは、誇りある国際人にはなれない。
GHQによる戦後の洗脳教育があった。そこを改めてほしいのだ。
日本人の誇りを取り戻すために、歴史的事実を明解にしてほしい。
これは決して、右偏重の妄言ではないと信じている。
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