新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

柿と牡蠣

2008年10月29日 07時54分42秒 | 写真・エッセー

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 晴れ上がった青空に、柿が鮮やかに映えた。もぎりとって食べたいほど。

 2008年10月25日撮影。

 度々書いているのだが、私の生まれ在所は茨城県北部。

 その地域の特色なのか私の個性なのかは定かでないが、単語のアクセントがはっきりしないものがある。

 たとえば、「柿」と「牡蠣」。ともに「カキ」と「カキ」なのだが、私は言い分けができない。

 つまりどちらの「カキ」も同じアクセントとなる。

 同じような例では、「雨」と「飴」、「鼻」と「花」、「雲」と「蜘蛛」、「箸」と「橋」と「端」、「酒」と「鮭」などなど。

 聞き返されたり、時には言い咎められたりする。

「何よりも自分の意志が肝腎だ!」  

 こんなことを偉そうに言ったつもりでも、「何よりも自分のが肝腎だ!」と聞かれたのでは、まさに意思が通じない。そんなトンチンカンな聞き手はいないのだが、私としては、若干は気になっている。

 仕事で失敗した後輩たちに、

「失敗して転んじゃった。もうその事実は消せない。これからどうするかが肝腎だ。転んで膝小僧を擦りむいてしまったが、せめての一つも掴んで起きあがろうではないか。そのは反省の材料だ」

 と、言ったりした。

 この場合の「イシ」は「石」でなければならない。

 思い詰めると、結構なストレスになる。

「前後の言葉で分かるではないか」 これは私の言い分だ。おそらく実際のところ、通じているはずだ。

 しかし、誤解されて困ったことがあった。

 酒屋へ行って、「を下さい」と言ったつもりが、「鮭缶を下さい」と誤解されたことがある。その店には、缶詰類も売っていた。前後の言葉を斟酌しても、誤解される可能性はあった。

 カミさんには、「いっそのこと、シャケカンと言ったら……」と言われたことがある。

「シャケカン」なんぞと、気取ったような言い方は嫌いだ。だから、「酒」も「鮭」も「サケ」だ。 

 親友にR君がいる。彼は私と同郷だ。当然同じような傾向の発音をしている。

 ところが細君は、東京生まれの東京育ち。アクセントでしばしば揉めていた。私から言わせれば、まるで細君が、難癖か揚げ足取りをしているとしか見えない。一言づつ注意されていて、可哀想なほどだった。

 結局は暴力沙汰が多くなり、離婚してしまった。

 もちろん言葉が原因ではなかった。しかし、言い咎めたり反論したりも多かった。売り言葉に買い言葉の中に、アクセント問題も出てしまったのだ。言うまでもなく、根底には愛情問題があり、家庭内暴力があった。

 わが家のカミさんも同じような生まれなのだが、今のところ、「前後の言葉で理解しろ!」で押し通してやってきた。

 傲慢のつもりはない。ささやかな自己主張だ。

 幸いにも、まだ離婚話は出ていない。

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コメント (20)
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