中山成彬前国土交通大臣が、議員引退の意向を示した。
あれほどのことを言ったのだから、大臣の辞任は当然のこと。ところが、議員も引退すると表明した。
その段階から、東国原知事の迷走が始まった。ある一定期間、態度が不明瞭となった。
中山議員は宮崎一区選出の議員だ。
衆院選はすぐに行われる。自民党としては、候補者を見つけなければならない。東国原知事に、出馬を打診したかもしれない。打診しても不思議はない。
東国原知事が出馬か?
いつもの通り、マスコミが走り廻った。知事の周囲に群がった。
「衆院選に立候補されるのですか?」 異口同音の質問を、知事に浴びせた。
初めのころ、知事は、「今は考えられない」と、否定的なニュアンス。
しかし、いつの間にか、態度が変わっていった。
「県民のみなさんの意向次第」、と答えはじめたのだ。
つまり、「県民から国政で汗をかけと言われれば、それもあり得る」という態度だった。
裏側で、自民党からの意向打診があったのだろうか。
さあ、面白いぞ!視聴率が稼げるぞ!新聞が売れるぞ!
躍起になったマスコミが、知事を追いかけ廻した。
マスコミ好きの知事は、したり顔で、「県民のみなさんの意向次第」を幾度も力説した。
視聴率取りに躍起のテレビでは、「国政選挙に出るべきか?」との問を発し、世論調査を行った。私が見ていたかぎりでは、90パーセントの県民が否定的であった。
この騒動は、日本の民主主義の危うさを物語っている。日本にかぎらず、もともと民主主義の危うさなのかもしれない。
民主主義という政治形態は、「選ばれる側」の品格と、「選ぶ側」の品格が問われる。
面白おかしく取り上げるマスコミは論外。軽佻浮薄な行動は、今に始まったことではない。
知事になった東国原氏は、「宮崎をなんとかせんばならん」と訴えて当選した。
知事の任期なかばで、「宮崎をなんとかせんばならん」と言って、衆院議員に転じることができるのか。
状況が変わった、と言えば言えそうだ。
しかし、「県民のみなさんが、宮崎県のために国政で汗をかけと言うのであれば……」と、下駄を県民に預けている。
自らの政治信念はないのか!
信念と矜持、これが選ばれる側の品格だ。
見識と鑑識眼、これが選ぶ側の品格だ。
「空気」次第で、どうにでも変わるいい加減さでは、民主主義は正しく機能しない。
それが民主主義という政治形態の欠陥なのだろう。
とは言え、それでも、独裁政治よりはましなのだが……。
現段階において、やっと、知事は不出馬に心を固めたらしい。
こちらの今朝は、深い霧に覆われている。今の政界を象徴しているようではないか。
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