10月25日の記事に、「限りある生命」を書いた。
その気持ちが、次の俳句となった。
ほの揺れつ生命の色の照葉かな 鵯 一平
秋の陽を受け、赤く染まった残り葉のように、燃えて生きたいと思った。
具体的には、どのような生き方か。
それが次なる課題だ。
燃えて生きたいと粋がってみても、残されているエネルギーは乏しい。
緩やかに、丹念に、生きることしかできない。
昨日、久しぶりに公園の薔薇を見た。
四季咲きではない薔薇が、秋の陽を浴びて、控え目に咲いていた。
秋の薔薇には、夏の豊麗さはない。狂わす強烈な香りもない。
レンズを近づけた。微かに香った。
レンズを通して見る薔薇は、とても頼りなさげだった。冬の薔薇と同じだ。とても愛おしい。
丹念にシャッターを押した。
残ったノートの余白に、丹念に描き続けるように……。
生きて今余白に描く秋の薔薇 鵯 一平
俳句の上で、薔薇は夏の季語だ。冬の季語としては「冬薔薇」がある。秋の薔薇が季語となるのかどうか、不勉強な私は知らない。
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