新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

限りある生命

2008年10月25日 07時22分10秒 | 写真俳句・エッセー

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ほの揺れつ生命の色の照葉かな

 

 この世に生を受けて、すでに74年が過ぎ去った。さまざまのことがあった。

 大きいことのひとつは、やはり太平洋戦争であった。

 満州事変や日中戦争について、記憶はさだかでない。提灯行列の記憶はあるが、今にして思えば、南京陥落だったのかもしれない。

 太平洋戦争の勃発は、昭和16年12月8日。国民学校1年生のときであった。

 アメリカ艦隊による艦砲射撃や焼夷弾爆撃、そして終戦。国民学校5年生であった。

 国中は大混乱。大変な食糧不足だった。親たちの苦労が偲ばれる。

 社会人になったのが、昭和32年4月。日本はまだ復興途上の混乱期であった。

 昭和37年に結婚。住宅事情も改善されておらず、手狭な社宅暮らしが結婚生活のスタートだった。社宅に入れただけ、恵まれていたと言える。

 東京オリンピックの開催は、昭和39年。復興モードの真っ最中であった。私たちは産業戦士ともて囃され、寝る間も不十分な多忙さの中で、キリキリ舞いをさせられた。

 元気があったから頑張れた。頑張りすぎて病気にもなった。病気の数も、片手では足りないほどだ。別に病気を自慢しているわけではない。

 もっとも、仕事だけをしていたわけではない。仕事に比例して、同じくらい遊びもした。

  いつの間にか子供も成長し、次々と独立していった。

「いつの間にか……」と言っている父親だった。あまり子供たちとはかかわっていなかった。今でもカミさんには頭が上がらない。

 そんな経過を経ての現在なのだ。反省をし始めたらキリがない。

 強がりを言ってはいるが、生命に限りがある。限りある生命だから、大事に使いたいと思っている。

 神様の思し召しは見当がつかない。気まぐれなところもありそうだ。予想や期待は、往々にしてはぐらかされる。

 不透明ながらも、やはり限りある日なのだ。そう思わなければなるまい。

 大事にだいじに、燃えて生きたい。

   ほの揺れつ生命の色の照葉かな  鵯 一平

 風があるようだ。陽を受けた枯葉が、赤く染まって揺れている。

 いよいよ秋も深まってきた。

 照葉(てりは)とは、秋の陽を受け、鮮やかに輝いている紅葉のこと。秋の季語。

 今日は恒例の外出日。

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コメント (20)
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