新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

露の玉

2008年10月13日 07時27分22秒 | 写真俳句・エッセー

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死ぬ病待つわけでなし露の玉

「写真俳句」という言葉に触発されて、ほぼ1年の月日が過ぎた。

 自分勝手流の俳句なので、噴飯ものに違いない。しかし、私自身は楽しんでやっている。

 その後、病気もした。自分の生命について、深く考えるようになった。

 もっと生きたい。それは強い思いだ。さればとて、どうにもならないこともある。その覚悟めいたものはできた。その実感はある。

 決して投げやりとか自棄っぱちではない。天命を感じたとでも言おうか。

 偉そうなことを言ってしまった。その場に臨んで、じたばたしないと断言はできない。

 つまり、中途半端な「覚悟」だ。

 麻生太郎さんが自民党総裁に選ばれたとき、「天命」という言葉を用いた。あれは少し妙だ。総裁の椅子を望んだのは自分だ。私は病気を望んではいなかった。

 世界の動きは目まぐるしい。早さには追いつかない。眼をしばたたかせているだけだ。情けないこと夥しい。

 どうせ追いつかないなら、じっとしていようか。でも、それでは邪魔者になるだけ。動きが鈍いなりに、せめて眼だけでも追わなければなるまい。

 もっとも、なまじ動けば、足手まといになることもある。

 そこが難しいところだ。

   死ぬ病待つわけでなし露の玉   鵯 一平

「露」は秋の季語。

 古来から、 「はかない生命」にたとえられたり、「涙」にたとえられたりしている。

 私は「涙」を思っていない。定めがたい行く末を感じてはいる。

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コメント (18)
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