新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

喧嘩の作法

2008年10月06日 07時26分04秒 | 写真俳句・エッセー

Simg_4804_1t
赤まんま幼きままの姿なり

 昨日は休養の日と決めていた。

 しかし、予想通り、動いてしまった。猫の額(わが家の庭)の草取りをした。

 狭いながらも草取りとなれば、相応の支度も必要。作業開始はお昼近くになった。

 作業も終わりのころ、イヌタデと相対した。抜いてしまおうか、それとも残そうか。

 結果は、そのまま残すことにした。愛着のある野草だった。

 イヌタデは別名をアカマンマと呼ばれている。子供時代を思い起こす懐かしい草だ。

 中学生のころまで、よく喧嘩をした。

 どんなキッカケだったのだろうか。今になっては覚えていない。

 子供ながらに、喧嘩の作法があった。 

 ① 素手でやれ。 つまり、武器を使ってはいけないということだ。

 武器と言っても、ピストルや日本刀のことを言っていない。せいぜい下駄だ。少し後になって、「刀の鍔」というのが流行ったが、言葉だけで、実際に使ったヤツはいなかった。

 ② 相手が泣いたらやめろ。 そこで勝負がついたのだ。深追いしてはいけない。

 ③ 弱い者いじめはするな。 女の子や下級生をいじめてはならない。

 小学生のころは、遊び仲間の喧嘩だから、ひどいことにはならなかった。ほとんど三つの戒律を守っていたように思う。

 中学生になってからは、戒律を乱すヤツが出てきた。

 二つの小学校が一つの中学校に集められた。知らない者が多くなった。きれいごとではいかなくなってきた。

「肥後の守」を持っているヤツがいた。ヤスリをグラインダーで削った「ドス」を、これ見よがしに見せるヤツもいた。

 卒業生を巻き込む喧嘩も多くなった。これにはほとほと参った。

 昭和20年代は、荒れた気風が吹いていた。街には「予科練帰り」や「復員軍人」がいて、荒んだ空気を煽っていた。

 当時は進学する子供は少なかった。多くは中学校を卒業すると同時に、様々な職業に就いて行った。

 そんな先輩が紛れ込む喧嘩は、とても始末に負えないものとなった。

 私も一度だけ巻き込まれかけた。複数対複数の喧嘩だったが、相手の陣営には先輩がきそうだった。相手のボスがそれを口にしたのだ。

 中学生時代、職に就いている先輩には勝てないと思っていた。とてつもなく大人に見えた。まして煙草をすっていたりすると、それだけで怖じ気ついてしまった。

 あのときはどんな決着だったのだろうか。

 相手の名前は今でも覚えている。しかし、勝ったのか負けたのか、どのような結末となったのか、まったく覚えていない。

 心に傷が残っている喧嘩があった。③の項目だ。

 女の子ではなかったのだが、無抵抗に近い相手だった。いや、断じて無抵抗ではなかった。しかし、喧嘩にはならない相手だった。

 今も実家の近所に住んでいる。幾度か顔を合わせたが、なんとなく引け目を感じてしまう。口の利き方もぎこちなくなってしまうのだ。まだ詫びてはいない。

 高校生になってからは、もう子供ではない。だから、この範疇には入らない話。

 従って、高校時代の喧嘩は、今日のブログには含まれていない。

    赤まんま幼きままの姿なり   鵯 一平

 ランキングに参加しております。応援のクリックをお願いします。

   ↓  ↓

  にほんブログ村 シニア日記ブログへ                                          


             

             

 

  

コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする