この世に生を受けて、すでに74年が過ぎ去った。さまざまのことがあった。
大きいことのひとつは、やはり太平洋戦争であった。
満州事変や日中戦争について、記憶はさだかでない。提灯行列の記憶はあるが、今にして思えば、南京陥落だったのかもしれない。
太平洋戦争の勃発は、昭和16年12月8日。国民学校1年生のときであった。
アメリカ艦隊による艦砲射撃や焼夷弾爆撃、そして終戦。国民学校5年生であった。
国中は大混乱。大変な食糧不足だった。親たちの苦労が偲ばれる。
社会人になったのが、昭和32年4月。日本はまだ復興途上の混乱期であった。
昭和37年に結婚。住宅事情も改善されておらず、手狭な社宅暮らしが結婚生活のスタートだった。社宅に入れただけ、恵まれていたと言える。
東京オリンピックの開催は、昭和39年。復興モードの真っ最中であった。私たちは産業戦士ともて囃され、寝る間も不十分な多忙さの中で、キリキリ舞いをさせられた。
元気があったから頑張れた。頑張りすぎて病気にもなった。病気の数も、片手では足りないほどだ。別に病気を自慢しているわけではない。
もっとも、仕事だけをしていたわけではない。仕事に比例して、同じくらい遊びもした。
いつの間にか子供も成長し、次々と独立していった。
「いつの間にか……」と言っている父親だった。あまり子供たちとはかかわっていなかった。今でもカミさんには頭が上がらない。
そんな経過を経ての現在なのだ。反省をし始めたらキリがない。
強がりを言ってはいるが、生命に限りがある。限りある生命だから、大事に使いたいと思っている。
神様の思し召しは見当がつかない。気まぐれなところもありそうだ。予想や期待は、往々にしてはぐらかされる。
不透明ながらも、やはり限りある日なのだ。そう思わなければなるまい。
大事にだいじに、燃えて生きたい。
ほの揺れつ生命の色の照葉かな 鵯 一平
風があるようだ。陽を受けた枯葉が、赤く染まって揺れている。
いよいよ秋も深まってきた。
照葉(てりは)とは、秋の陽を受け、鮮やかに輝いている紅葉のこと。秋の季語。
今日は恒例の外出日。
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有難うございます。覚えておきます。 これ、自分のような気がします。
他人様から見ればヨボヨボの爺かと思いますが、上手い具合に
自分ではそう思わないし、そんなこと信じられないのです。
いつの間にか「老人力」を身に付けてしまいました(笑)。
本当にまいにちを大事に生きなければなりませんね
日々の生活の中、ともすると限りある命なのに忘れがち
今日一日を大事にします。
照葉もいずれは枝から離れどこかへ去っていくのですが、それとて、自然のなりゆき。 いい句です。
あるうちは大事に使おう、人生も、なにもかも。
照葉の句、すてきですね。拙宅の小さな庭にも、花の咲かないハナミズキの葉がやはり赤く染まり、秋の深まりを感じます。今が一番過ごしやすい季節ですね。
私は女ですから 社会人になったのは 30年 給料は 9,800円 懐かしくて せつない思い出です。
一葉 紅に輝いている いまにも風が吹けば落ちそうで落ちない nakapa さんのおっしゃる「老人力」で生きます。
人生70年といえば色々ありますね、特に昭和という時代。本文を読んでそう思います。
そんな背景があっての、「露の玉」、今回の「照葉」、なにかしみじみと感じさせるいい句です。
あまり気張らず少なくともあと20年・・・・如何ですか。
いい句です。
昨日の友も、皮膚がんをしてました。
お金も新車が買えるほど使ったけどといったら、
命はお金では買えないよと子供に云われたそうです。
それからは、アルプスの登山と写真 工房 等を生きがいに見事に立ち直りました。
そして約10年が過ぎ、年2回診察になったそうです。
もう元気が一番
これしかようがないとしみじみと語ってました。
私も歩ける喜び
ここにこうしてかける喜び
おいしく食べれる喜び
等すべてに感謝を感じた日でした。
私は我が身と引き比べながら、照葉を見ました。
強くていじらしいほど真摯な姿のように思います。
nakapaさんの老人力を、ぜひ見習いたいものです。
私も「限りある」ことを忘れて、いい加減に生きてしまいます。
折角の授かりものを、大切に意義あるものにしたいと思います。