「写真俳句」という言葉に触発されて、ほぼ1年の月日が過ぎた。
自分勝手流の俳句なので、噴飯ものに違いない。しかし、私自身は楽しんでやっている。
その後、病気もした。自分の生命について、深く考えるようになった。
もっと生きたい。それは強い思いだ。さればとて、どうにもならないこともある。その覚悟めいたものはできた。その実感はある。
決して投げやりとか自棄っぱちではない。天命を感じたとでも言おうか。
偉そうなことを言ってしまった。その場に臨んで、じたばたしないと断言はできない。
つまり、中途半端な「覚悟」だ。
麻生太郎さんが自民党総裁に選ばれたとき、「天命」という言葉を用いた。あれは少し妙だ。総裁の椅子を望んだのは自分だ。私は病気を望んではいなかった。
世界の動きは目まぐるしい。早さには追いつかない。眼をしばたたかせているだけだ。情けないこと夥しい。
どうせ追いつかないなら、じっとしていようか。でも、それでは邪魔者になるだけ。動きが鈍いなりに、せめて眼だけでも追わなければなるまい。
もっとも、なまじ動けば、足手まといになることもある。
そこが難しいところだ。
死ぬ病待つわけでなし露の玉 鵯 一平
「露」は秋の季語。
古来から、 「はかない生命」にたとえられたり、「涙」にたとえられたりしている。
私は「涙」を思っていない。定めがたい行く末を感じてはいる。
ランキングに参加しております。応援のクリックをお願いします。
↓ ↓
ひよどりさんが楽しんで行っている写真俳句、こちらも楽しく読ませていただいています。ひよどりさんがご自分の人生と向き合われる時、私もいっしょに考えさせられます。それだけ、ひよどりさんの「ほろ酔い気分」はとても求心力があるブログです。
これからも、読み応えのある記事をいっぱい書いてください。お願いいたします。
生きることのきびしさ、深み、(うまく言えませんが)
そのようなことを思わせて下さる記事です。
明日をも知れぬ・・・は誰にも与えられていることですが、
それを忘れてバタバタ走り回ってしまう日もあります。
時には立ち止まり、静かに自分の行く末に目を向けたいと思います。
結構 重い内容なのにさらりと詠んでいらっしゃる。
病気と向き合ってみないと つくれないですね。
俳句は楽しいですね。
きっと自己流と思い定めているせいかもしれません。
不細工は初めから諦めております。
応援を戴いたり、過分なお言葉を戴けると、嬉しくなって、やめられません。
ありがたいことです。
明日を知らないから、私も強がりを言っております。
この先、いつまでも強がってはいられないと思います。
「明日をもしれぬ」はみんな同じですね。
あまり意識せずに動いていることができれば、それが最高です。
考えない方がいいですよ。
緒形拳さん、根岸徹さん、いずれもガンで亡くなりましたね。
惜しい人たちでした。
でも、立派な生き方のように思います。
今日の写真と俳句、胸が痛くなるような気がします。
きわどいバランスで落ちるのを「待つわけでなし露の玉」
ですか、私なんぞこんな句のような心境なんぞとてもとても切なくて考えられません。
でも何時かはその時が来るのも確実、でも日常はそのことを忘れて過ごしております、だめですネ。
好意的に見ていただきありがとうございます。
きわどいバランスなど、とても考えられません。
覚悟だって怪しいものです。
そのときになれば、狼狽えて泣き叫ぶに違いありません。
俳句は「願望」です。
素敵なホームページを作っていた方がいました。
今年からは、写真だけになってしまいました。
なかなか続けることは大変なのかもしれません。
でも、気楽に続けてください。楽しみにしています。
私は、この春に頚椎症で手術しました。
両手足は痺れています。
でも、死はずっと、向こうであってほしいと思っています。
私は「頸椎症」について、まったく知識もありませんが、
手術をなさったとすれば、大変なことだったと思います。
手足の痺れが残っているのであれば、ご不便なことでしょう。
私はガンを二つ。
去年から今年にかけて、胃と腎臓から除去しました。
脅えていないと言えば嘘になります。
再発しないことを強く念じております。