安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【福島原発事故刑事裁判第26回公判】「避難による患者死亡は原発事故のせい。地震と津波だけなら助けられた」と看護師が証言

2018-09-20 23:49:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。9月18日(火)の第26回公判、9月19日(水)の第27回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。予定されていた9月21日(金)の公判が中止となったため、次回、第28回公判は10月2日(火)に行われる(なお、通常この刑事裁判は午前10時開廷となっているが、次回、10月2日だけは13時15分開廷となる。傍聴を予定されている方はご注意いただきたい)。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

傍聴記に入る前に、ここで改めて当ブログ読者の皆さんに説明しておくと、勝俣恒久元東京電力会長、武藤栄元東電副社長、武黒一郎元東電副社長の3被告に対するこの刑事裁判は、検察審査会による2回の「起訴相当」議決を受けた強制起訴によって始まったが、そもそもの起訴事実は「福島原発事故発生によって双葉病院の患者が強制避難させられ、その過程で死亡、負傷したことが業務上過失致死傷罪に当たる」とするものである。その意味では、双葉病院の看護師が出廷、「事故がなければ患者は避難する必要も、避難途中で死亡することもなかった」との証言をしたことは、いよいよこの裁判が核心に近づいてきたことを示している。起訴事実に直接関係する証言を、直接の関係者から引き出した今回の公判は、これまでで最も重要なものである。今回の公判については、メディア報道もご紹介するので、参考にしていただきたい。

<東電訴訟>双葉病院患者死亡は原発事故が原因 看護師証言(毎日)

東電裁判で元看護師「原発事故なければ治療できた」(テレビ朝日)

福島事故後44人死亡 東電元幹部ら公判 双葉病院・元看護師証言(東京)

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●事故がなければ、患者は死なずに済んだ

 勝俣恒久・東電元会長ら被告人3人は、福島第一原発近くの病院などから長時間の避難を余儀なくされた患者ら44人を死亡させたとして、業務上過失致死罪で強制起訴されている。9月18日の第26回公判では、東電が引き起こした事故が、どんな形で患者らの死とつながっているのか、検察官側が解き明かしていった。病院の看護師は、寝たきり患者らの避難がとても難しかったと当時の状況を証言。救助に向かった自衛官や県職員、警察官らが検察官に供述した調書も読み上げられた。

 放射性物質で屋外活動がしにくくなり、通信手段も確保できない中で現地の情報が伝わらなくなっていた。そのため患者の搬送や受け入れの救護体制が十分に築けず、患者たちが衰弱して亡くなっていく様子が証言で浮かび上がった。

●地震と津波だけなら助かった

 証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。

 事故当時、双葉病院には338人が入院、近くにある系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に98人入所していた(注)。鴨川さんは、3月12日に、比較的症状の軽い209人とバスで避難、受け入れ先のいわき市の病院で寝る間もなく看護にあたっていた。

 3月14日夜、後から避難した患者ら約130人が乗っていたバスを、いわき市の高校体育館で迎えた。このバスは、病院を出発したものの受け入れ先が見つからず、南相馬市、福島市などを経由して、いわき市で患者を下ろす作業が始まるまで11時間以上かかった。継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断していた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。

 鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。

●高い線量、連絡や避難困難に

 福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入るのを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていたノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。

 病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。

 これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかになった詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含まれていたように思えた。

注)福島県災害対策本部の救援班は、3月17日午後4 時頃、双葉病院からの救出状況について「3月14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」と発表し、報道された。このため、双葉病院の関係者は「患者を置き去りにした」と一時、非難された。しかし、実際は院長ら関係者が残って、患者のケアや搬送の手配に奔走しており、バスに同乗して移動した病院関係者も、ピストン輸送で病院にすぐ戻ることができると考えていた。政府事故調の最終報告書は、県の広報内容について「事実に反し、あたかも14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確又は不適切な内容と言わざるを得ないものであった」と評価している(政府事故調最終、p.241)


双葉病院の避難支援を担当した陸上自衛隊第12旅団の配置

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