My Bloody Valentine "Loveless : Remastered Edition" Sony, 2012.
Shoegazeなるロック音楽のサブカテゴリを確立した名盤"Loveless"のリマスタ盤。オリジナルは1991年で英国インディーズ・レーベルのCreationからの発行。レコーディングに時間と費用をかけすぎて同レーベルを倒産寸前に追い込んだというエピソードも有名だろう。それと18人のエンジニアが関わっていることからも推測できるように、独特の音響が聴けるアルバムとなっている。
端的に言えば、曖昧で輪郭のはっきりしない音、ということになる。レコーディングにおける一般的な哲学は、楽器間の音の違いを際立たせるよう個々の音を明瞭にするというものだろう。一方、このアルバムはまったく逆の発想で作られている。ボーカルとギター音を中域に弱めの音量でまとめてしまい、それを広いレンジで霧のように鳴り響くノイズ音がくるんでいる。意図して境界のぼやけたサウンドを作っているのである。
意匠を取ってしまえば、1960年代ソフトロック風の、クロディーヌ・ロンジェのようなボーカルとメロディを持った音楽にすぎないと言えるかもしれない。しかし、このアルバムで重要なのはその意匠である。リバース・リバーブなる音響処理によって、アタック音を消し去られたディストーション・ギターがなめらかにフェイドインする。霧のような印象はこの処理のためである。加えて、トレモロ・アーム奏法によって、幾重にも重ねられたそれらギターの音程は、ぐにゃりと歪められている。その効果は、サウンドに浮遊感を生みだし、足元を微妙に不安定にする。ぼやけた無重力感のある弛緩した音が全体を包み込む中、それぞれ中性的な男女ツインボーカルが耳元で甘い旋律を囁くのである。その快楽感は麻薬的で、何度も何度も繰り返し聴きたくなる。聴くというよりは、むしろ身を任せると言ったほうが正しいかもしれない。
つい先日、このアルバムのリマスター盤が2012年に発表された。曲目がまったく同じ二枚を組み合わせた二枚組になっており、一枚は1991年段階でデジタル処理された最終マスターからの、もう一枚はその一つ前のアナログテープからのマスターである。パッケージの表記によれば、CD1が前者、CD2が後者となっている。しかし、それは誤記のようで、実際はCD1が後者、CD2が前者のようである。
聴いてみると、CD1の方がディストーションの粒子が粗くて音像がぼんやりしている。おそらく、1991年段階のデジタル処理ではカットされてしまったノイズ音が再現され、音数が増えたからだろう。つまり、CD1はアナログテープから起こしたものであるということである。一方、CD2の方は低音が効いていて、ボーカルもはっきりし、音の輪郭がクリアになっている。つまり、最終マスターの音の分離を明瞭にしただけの、月並みなリマスタリング作業の結果のように聴こえる。
なので、CD2はどうでもいい。しかし、アナログテープ音源を使ったCD1は素晴らしい。CD1は、ノイズの粒子音の壁が分厚くなり、優しくかつヒリヒリと肌を撫でるものになっている。オリジナルよりもさらに音に「身を任せる」感覚が強くなっているのである。オリジナルの録音哲学に沿ったリマスタリングは、CD1の方にあるだろう。このリマスタリング盤の発行までは紆余曲折あったようだが、最終マスターではなく、わざわざアナログテープを元にしたリマスタリングを施した御大シールズの音響にかけるセンスはいささかも衰えを感じさせないものだ。パッケージの表記を間違えるあたり、レーベルはこの名盤を愛していないようだが。
Shoegazeなるロック音楽のサブカテゴリを確立した名盤"Loveless"のリマスタ盤。オリジナルは1991年で英国インディーズ・レーベルのCreationからの発行。レコーディングに時間と費用をかけすぎて同レーベルを倒産寸前に追い込んだというエピソードも有名だろう。それと18人のエンジニアが関わっていることからも推測できるように、独特の音響が聴けるアルバムとなっている。
端的に言えば、曖昧で輪郭のはっきりしない音、ということになる。レコーディングにおける一般的な哲学は、楽器間の音の違いを際立たせるよう個々の音を明瞭にするというものだろう。一方、このアルバムはまったく逆の発想で作られている。ボーカルとギター音を中域に弱めの音量でまとめてしまい、それを広いレンジで霧のように鳴り響くノイズ音がくるんでいる。意図して境界のぼやけたサウンドを作っているのである。
意匠を取ってしまえば、1960年代ソフトロック風の、クロディーヌ・ロンジェのようなボーカルとメロディを持った音楽にすぎないと言えるかもしれない。しかし、このアルバムで重要なのはその意匠である。リバース・リバーブなる音響処理によって、アタック音を消し去られたディストーション・ギターがなめらかにフェイドインする。霧のような印象はこの処理のためである。加えて、トレモロ・アーム奏法によって、幾重にも重ねられたそれらギターの音程は、ぐにゃりと歪められている。その効果は、サウンドに浮遊感を生みだし、足元を微妙に不安定にする。ぼやけた無重力感のある弛緩した音が全体を包み込む中、それぞれ中性的な男女ツインボーカルが耳元で甘い旋律を囁くのである。その快楽感は麻薬的で、何度も何度も繰り返し聴きたくなる。聴くというよりは、むしろ身を任せると言ったほうが正しいかもしれない。
つい先日、このアルバムのリマスター盤が2012年に発表された。曲目がまったく同じ二枚を組み合わせた二枚組になっており、一枚は1991年段階でデジタル処理された最終マスターからの、もう一枚はその一つ前のアナログテープからのマスターである。パッケージの表記によれば、CD1が前者、CD2が後者となっている。しかし、それは誤記のようで、実際はCD1が後者、CD2が前者のようである。
聴いてみると、CD1の方がディストーションの粒子が粗くて音像がぼんやりしている。おそらく、1991年段階のデジタル処理ではカットされてしまったノイズ音が再現され、音数が増えたからだろう。つまり、CD1はアナログテープから起こしたものであるということである。一方、CD2の方は低音が効いていて、ボーカルもはっきりし、音の輪郭がクリアになっている。つまり、最終マスターの音の分離を明瞭にしただけの、月並みなリマスタリング作業の結果のように聴こえる。
なので、CD2はどうでもいい。しかし、アナログテープ音源を使ったCD1は素晴らしい。CD1は、ノイズの粒子音の壁が分厚くなり、優しくかつヒリヒリと肌を撫でるものになっている。オリジナルよりもさらに音に「身を任せる」感覚が強くなっているのである。オリジナルの録音哲学に沿ったリマスタリングは、CD1の方にあるだろう。このリマスタリング盤の発行までは紆余曲折あったようだが、最終マスターではなく、わざわざアナログテープを元にしたリマスタリングを施した御大シールズの音響にかけるセンスはいささかも衰えを感じさせないものだ。パッケージの表記を間違えるあたり、レーベルはこの名盤を愛していないようだが。