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歴史エッセイという趣きながら時折鋭い分析が入る

2012-05-16 09:52:25 | 読書ノート
竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論, 2011.

  終戦直後から1960年代あたりまでを範囲に、日本の大学や教育、言論界を覆ってきた戦後民主主義思想すなわち左翼思想の様相を伝える書籍。歴史書としては系統だってないし、因果関係を明らかにするようなコテコテの学術書でもない。あれやこれやと材料を提示して、その時代の「雰囲気」を伝えようとする内容である。そして、教育社会学者らしく図表などを用いて分析を加えている。

  扱われているトピックは次のとおり。戦後の論壇やマスメディアで黙殺されてきた、必ずしも反戦リベラリズムを指向し‘ない’複数の庶民感情の存在の指摘。一般に、当時は岩波書店の月刊誌『世界』の時代だったとされるが、『中央公論』のような中道路線の雑誌と比較してみるそれほど受入れられていたわけではないこと。日教組に理論的お墨付きを与えた東大教育学部の人事。保守派とみなされる学者の下で学んだ大学院生は、大学で疎んじられて職をみつけることが難しかったらしい。続いて、京都旭ヶ丘中学教員による左翼教育と政府や世間の冷ややかな対応。この事件で左翼政党が教員らを支援しなかったことが、1960年代の既存の政党に頼らない新左翼運動につながっていったとする。さらに、福田恆存や小田実の論壇デビューに対する「進歩的知識人」の反応。前者は貶められ、後者は取り込まれていったという。最後は、日本が豊かになるにつれて、左翼的言辞や知識が時代遅れになっていったことと、石坂洋二郎の小説が戦後民主主義を庶民にゆるく浸透させたこと。これらを、佐渡で育ち1960年代前半に大学へ進学した著者の経験を織り交ぜながら記述している。

  本書を通読して分かる進歩派知識人の病は、民衆──彼らの中で想像された民衆──と乖離することの恐怖である。日本の知識人は大衆にすり寄り過ぎていることを、スーザン・ソンタグの言葉を引きながら指摘している箇所がある(p.350)が、これも「労働者」を人間の基本に見せてしまうマルクス主義の影響なのだろう。戦後の日本の政治の奇妙な点として、投票者の利害よりも実際の思想が影響を持ってしまう「文化政治」があるが、それも知識人と大衆の近さゆえというわけである(終章)。最終的な結論として、「革新幻想」は大衆エゴイズムを解放しただけという、志の低い結果になったと著者は断じている。

  500ページを超える長い本だが、飽きずに興味深く読めた。『日本のメリトクラシー』や『教養主義の没落』を代表とする著者の数々の名著ほどではないが、当時の様子をわかりやすく伝えている。
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