29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

個々の事件・人物よりも栄枯盛衰の理由を中心に記述する通史

2012-05-11 08:23:05 | 読書ノート
ウィリアム・H.マクニール『世界史』増田義郎, 佐々木昭夫訳, 中公文庫, 中央公論, 2008.

  大学生向けの世界史。さまざま大学で教科書として使われているのだろう、2008年の文庫版の出版ながら、今年4月に書店店頭でもアマゾンでもよく見かけた。原著初版は1967年で、この翻訳は1999年の第4版から。東欧・ソ連の崩壊あたりまでを収め、参考文献と索引も付されている。

  日本の高校の世界史では、事件や人物など事項をキーにして世界史の「流れ」を学ぶ。一方、本書は西欧人らしく因果関係重視の記述で、押さえておくべき固有名詞の量は多くない。中世あたりまでは、農耕民の生産力と遊牧民の軍事力を対照させながらの記述。鉄や馬具などの技術革新、伝染病による人口減少、宗教思想の影響などにも目配りしながら、世界各地の民族・王朝の栄枯盛衰の理由を探っている。その因果関係の解釈が面白く、高校世界史では不備だった部分が補われるだろう。

  ある程度の世界史の「流れ」がわかっていればすんなり読めるレベルの本である。文明間の力の差の原因についてジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社, 2000)と同じポイントを挙げているのだが、その点は米国の歴史学の世界ではコンセンサスとなっているのだろうか?
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アナログマスターからのリマスタリングが素晴らしい

2012-05-09 11:58:55 | 音盤ノート
My Bloody Valentine "Loveless : Remastered Edition" Sony, 2012.

  Shoegazeなるロック音楽のサブカテゴリを確立した名盤"Loveless"のリマスタ盤。オリジナルは1991年で英国インディーズ・レーベルのCreationからの発行。レコーディングに時間と費用をかけすぎて同レーベルを倒産寸前に追い込んだというエピソードも有名だろう。それと18人のエンジニアが関わっていることからも推測できるように、独特の音響が聴けるアルバムとなっている。

  端的に言えば、曖昧で輪郭のはっきりしない音、ということになる。レコーディングにおける一般的な哲学は、楽器間の音の違いを際立たせるよう個々の音を明瞭にするというものだろう。一方、このアルバムはまったく逆の発想で作られている。ボーカルとギター音を中域に弱めの音量でまとめてしまい、それを広いレンジで霧のように鳴り響くノイズ音がくるんでいる。意図して境界のぼやけたサウンドを作っているのである。

  意匠を取ってしまえば、1960年代ソフトロック風の、クロディーヌ・ロンジェのようなボーカルとメロディを持った音楽にすぎないと言えるかもしれない。しかし、このアルバムで重要なのはその意匠である。リバース・リバーブなる音響処理によって、アタック音を消し去られたディストーション・ギターがなめらかにフェイドインする。霧のような印象はこの処理のためである。加えて、トレモロ・アーム奏法によって、幾重にも重ねられたそれらギターの音程は、ぐにゃりと歪められている。その効果は、サウンドに浮遊感を生みだし、足元を微妙に不安定にする。ぼやけた無重力感のある弛緩した音が全体を包み込む中、それぞれ中性的な男女ツインボーカルが耳元で甘い旋律を囁くのである。その快楽感は麻薬的で、何度も何度も繰り返し聴きたくなる。聴くというよりは、むしろ身を任せると言ったほうが正しいかもしれない。

  つい先日、このアルバムのリマスター盤が2012年に発表された。曲目がまったく同じ二枚を組み合わせた二枚組になっており、一枚は1991年段階でデジタル処理された最終マスターからの、もう一枚はその一つ前のアナログテープからのマスターである。パッケージの表記によれば、CD1が前者、CD2が後者となっている。しかし、それは誤記のようで、実際はCD1が後者、CD2が前者のようである。

  聴いてみると、CD1の方がディストーションの粒子が粗くて音像がぼんやりしている。おそらく、1991年段階のデジタル処理ではカットされてしまったノイズ音が再現され、音数が増えたからだろう。つまり、CD1はアナログテープから起こしたものであるということである。一方、CD2の方は低音が効いていて、ボーカルもはっきりし、音の輪郭がクリアになっている。つまり、最終マスターの音の分離を明瞭にしただけの、月並みなリマスタリング作業の結果のように聴こえる。

  なので、CD2はどうでもいい。しかし、アナログテープ音源を使ったCD1は素晴らしい。CD1は、ノイズの粒子音の壁が分厚くなり、優しくかつヒリヒリと肌を撫でるものになっている。オリジナルよりもさらに音に「身を任せる」感覚が強くなっているのである。オリジナルの録音哲学に沿ったリマスタリングは、CD1の方にあるだろう。このリマスタリング盤の発行までは紆余曲折あったようだが、最終マスターではなく、わざわざアナログテープを元にしたリマスタリングを施した御大シールズの音響にかけるセンスはいささかも衰えを感じさせないものだ。パッケージの表記を間違えるあたり、レーベルはこの名盤を愛していないようだが。
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健康的で力強くて余裕しゃくしゃくの、らしくないECM作品

2012-05-07 09:01:09 | 音盤ノート
Steve Kuhn "Wisteria" ECM, 2012.

  ジャズ。エレクトリックベースを使ったピアノトリオ作品。といっても、時折ギターのようなソロをとることがあるぐらいで、エレべの使い方で特筆すべきようなところはない。メンバーはピアノのキューンと、Steve Swallow (el-b)とJoey Baron (d)。ECMでの前作"Mostly Coltrane"(参考)が素晴らしかっただけに期待したが…。うーん、悪い作品ではないが「並」といった印象。

  静音系の牙城ECMにしてはイキの良いアルバムである。このレーベルらしからぬ4ビートのウォーキングベースに乗って、テクニックをひけらかしながら、ピアノが楽しげに奏でられる。もちろんそうでないミディアムテンポの曲やバラード曲もあるのだが、その健康的で力強いタッチに、昔からのファンとしては違和を感じざるをえない。1990年代の代表作"Remembering Tomorrow"(ECM, 1996)では、豪華に装飾された和音と、崩れ落ちるような線の細いピアノが魅力だった。この"Wisteria"では、そのような病的で神経質な印象は一掃されて、和音よりも単線的なソロが中心の、余裕しゃくしゃくの大御所ジャズが展開されている。勝手を知ったメンバーでアトホームな雰囲気ではあるが、緊張感に欠ける。

  すなわち、1982年の"Last Year's Waltz"(参考)以降の、Venusレーベルなどで展開されている、ECM路線と異なるキューンの嗜好が反映されているのである。本人にとってはECMでこうしたスタイルが認められて喜ばしいことだったろう。しかし、僕にとってはあまりに「普通のジャズ」で面白くない。これを認めたプロデューサーのアイヒャーの衰えのほうを心配する。
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海賊版にも益があると主張する著作権本、ノリは新書風

2012-05-04 08:23:22 | 読書ノート
山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』人文書院、2011.

  近年の著作権改正(改悪?)の動向を伝え、批判する内容。若手ジャーナリストのような書きぶりだが、著者は『〈海賊版〉の思想』(みすず書房, 2007)など数点の著書を持つれっきとした学者である。索引の付されたハードカバーの書籍であるが、手に取りやすい新書などの形態で出版したほうが、著者の狙いに沿ったものになったかもしれない。

  内容は次の三つである。第一に、権利保護の強化と厳罰化という現在の趨勢の解説である。利用者が著作物にアクセスできないのみならず、著作財産権の保有者との対立で著作者まで著作物を十分管理できないような状況になっているらしい。第二に、最近の著作権法の改正をめぐる文化庁の審議会およびその下の小委員会の議事録の分析である。消費者を代弁する立場の委員が少なく、保護の強化を狙う権利者側の意見が通りやすい状況が見てとれる。第三に、海賊版の実態とそれが文化の消費を促進するという議論である。中国で製造される海賊版を分析し、正規版では売れ残る可能性の高いマイナーな日本のテレビ番組までもが、海賊版によって現地で広く安価に普及することとなり、海外で日本文化への認知を高める結果になっているという。結果、日本の正規のコンテンツへの嗜好も高まるだろうと。

  本書は、あくまでも現状の動向を伝える内容で、著作権のロジックを解説するものではない。また、権利の強化反対という著者の立場を支える証拠を提出するようなものでもない。著作権に南北問題を絡めるという説得力の欠く論理展開も散見される。そういうわけで、著作権の入門書には適していない。著作権の保護強化反対派の議論を知るためという目的意識で接したほうがいいだろう。個人的には著者の意見に賛成なのだけれども。
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一聴して爽やかだが、実は複雑なアレンジが施されている

2012-05-02 11:30:01 | 音盤ノート
Pat Metheny Group "Still Life (Talking)" Geffen, 1987.

  フュージョン。Geffen移籍第一作であり、ECM時代の透明感をそのままにしながら、編曲やリズム面でより複雑なことにチャレンジしている。編成は、メセニーとライル・メイズの双頭と、当時メンバーだったSteve Rodby (b)と Paul Wertico (d)ほか、ボーカルのDavid Blamiresら三人の準メンバーとなっている。Pedro Aznarが参加したこの前後のアルバムと比べると、スキャットはやや控えめである。

  全編を通じて爽快であり、聞き流すことも可能なように出来ている。しかし、各曲のアレンジは複雑かつ緻密であり、完成までにそれなりの時間がかかっているはずである。副題通り6/8拍子の‘Minuano (Six Eight)’や、二つの異なる曲を打楽器のブリッジを挟んで繋げるパーカッシブな‘Third Wind’など、曲の組み立てはもうプレグレシッブ・ロックである。一方で、‘Last Train Home’を筆頭に、美しいメロディを持った郷愁をかきたてる曲も数曲ある。‘(It's Just)Talk’など、1980年代のPMG諸作に共通するブラジル風味も全開である。多彩な収録曲でありながら、いずれも高い完成度を誇り、アルバムトータルで素晴らしい。

  このアルバムは商業的にも成功したはずだが、緻密なアレンジを施した曲の上でアドリブを展開するというPMGの路線は、後進のジャズミュージシャンに継承されて主流になってゆくことは無かった。なぜだろうか? 1950年代に比べてどんどんマイナーな音楽になってゆくジャズを、もう一度メインストリームにすることのできる唯一の方向性だと思えるのだが。模倣しようにも、1980年代のPMG作品の完成度が高すぎたのかもしれない。
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