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学歴を分断線とした米国格差社会論

2017-05-19 14:03:59 | 読書ノート
ロバート・D. パットナム『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』柴内康文訳, 創元社, 2017.

  『孤独なボウリング』で知られるパットナムの新著。学歴を基準に、現代アメリカの階級分断線を描いてみるという試みである。統計データはあるにはあるが補助的なもので、メインはインタビューによる格差の描写である。原書はOur kids: The American dream in crisis (S&S, 2015)。

  インタビューの対象の多くは、1970年代から80年代あたりに大学または高校を卒業した親のいる家庭で、親と20歳前後の子どもそれぞれが、その子どもの養育環境について訊ねられている。掲載されているインタビュー数は10数件と少ないが、2年をかけて全米各地で行われた100を超える家庭のインタビューからの選りすぐりだとのこと。家庭、育児、学校、コミュニティを論点として、同一地域の高学歴(大卒)の親の家庭と低学歴(高卒)の親の家庭を対照させている。

  低学歴家庭のほうは、崩壊家庭(父親が収監されているなど)・暴力・ドラッグなど、日本人にはあまり馴染みがなくてその生態が興味を引くものの、イメージ通りというか、他の書籍や報道で伝えられることの範囲内である。意外なのは高学歴家庭の親のほう。定収のある家庭がなんとなく育児をやっている、というものでは全然ない。科学的裏付けのある最新の育児・教育方法を自ら学習し、安全な居住地を選び、大学進学に適切な学校を子どもに勧め、子どもがつまづいた際には知人のネットワークを使って専門的アドバイスを入手する、そういうものすごく時間と労力と知力を投入する作業である。長期計画を立てつつなにか機会がある毎に主体的に選択する。そうしないと前に進んでゆかないのだ。育児がビジネスに似た、気の抜けない長期プロジェクトのようだ。こういうのに耐えられない大人が大勢いて、学歴がその分断線になってしまうというのはなんとなくわかる。

  将来、格差が広がると日本もこうなるのだろうか。米国の場合、低学歴層の「落ちぶれ方」が酷いのだが、それは身近にドラッグと銃があるために犯罪に接近しやすいという理由があるのだと思う。こういうリスクが少ない分、日本は米国のような階級分断のフォードバックループにははまらないだろうとは予想する。しかし、一方で治安が崩壊しないならば、日本は格差に鈍感であり続けるかもしれない。
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