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2009-04-29 21:26:19 | 読書ノート
ロバート・D.パットナム『孤独なボウリング:米国コミュニティの崩壊と再生』柴内康文訳, 柏書房, 2006.

  米国の「社会関係資本」の歴史的変化について調べた大著。「社会関係資本(social capital)」と聞くと、僕なんかはブルデューを思い浮かべる1)が、元来は20世紀前半まで遡ることのできる米国産の概念だそうで。1960年代以降にジェイコブズ(関連エントリ)らによって散発的に使用されてきたが、近年は重要な概念としてクローズアップされるようになった。この本でいう「社会関係資本」の概念は、投票行動やポランティア活動といった"公的"なものから、友人を家に招くとかトランプのゲームをするといった私的な行為までを指標として含む。

  第1部で本書の射程を述べた後に、第2部で、米国では1960年ごろを境に、さまざまな領域で社会関係資本の低下が見られることを、大量のデータでもって論証する。

  第3部ではその原因について考察している。それによれば、最も大きな要因は"世代"で、第二次大戦の危機を経験した世代は他人を信頼する傾向が強く社会参加も多いが、以後の若い層はより個人主義的で他人を信頼しない傾向が強いという。前者と後者の人口比率が逆転するにつれて、米国の社会関係資本が衰えてきているという。他にも、テレビの娯楽番組・郊外化・長時間労働などがその衰退に一役買ったとして挙げられている。

  第4部では、その衰退が、教育や治安、民主政治、幸福感などに与える影響について論じられている。ここで提示されたデータは圧巻。上にあげた従属変数と社会関係資本の指標とを米国の州別にプロットしたものだが、見事な相関を示している。

 「訳者あとがき」によれば、日本では米国ほどの社会関係資本の指標の極端な低下は見られない──むしろ横ばいである、とのことである。そこで示された内閣府の調査2)をちらりと見た感じでは、日本の数値は本書で示されている米国のそれ(ただし調査項目は微妙に違っているので注意)よりは良好な印象だ。ただし、日本では良好な社会関係資本が政治や幸福感に転化されていないように感じられる。こうした印象も反駁されうるものなのだろうか? そのために、今のところ、著者が希求するほど、多大なコストをかけて社会関係資本を再生させるべきかどうかは、疑問を抱いたままである。

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1) ブルデューの場合、社会関係資本=コネ・人脈というニュアンスが強かった。この本の使われ方とはちょっと違う。

2) 平成14年度内閣府委託調査:ソーシャル・キャピタル:豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて
http://www.npo-homepage.go.jp/data/report9.html
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