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共産主義というのは資本主義の前段階であるという

2021-07-04 07:00:00 | 読書ノート
ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』西川美樹訳, 梶谷懐解説, みすず書房, 2021.

  現状の資本主義体制についての考察の書。現在ある主流の経済体制を「リベラル能力資本主義」(米国)と「政治的資本主義」(中国)の二つに分け、それぞれの特徴と欠点、今後の動向について分析する。著者はセルビア出身米国在住の経済学者で、『不平等について』(みすず書房、2012年)と『大不平等』(みすず書房 , 2017)の二つの邦訳がある。原書は、Capitalism, alone: the future of the system that rules the world (Harvard University Press, 2019.)である。

  リベラル能力資本主義についてはこう。この体制における支配階級は、労働者として高収入を得ていると同時に、資本からの収入も多い。加えて、労働と資本を比較してみると、20世紀後半からは資本の重要性のほうが増している。支配層は同じ階級同士で結婚し、そのまた子どもも学歴を通じて同じ階層に所属する。彼らは政治にも影響力を行使し、資本優位の体制を維持する。このため、富が一部の人に集中して格差が開いてゆく傾向が強まっているという。ここまでは他でもよく聞く話だ。

  一方の政治的資本主義であるが、それは経済成長だけを目的とした法治なき資本主義体制であり、グローバル化によって浮上してきたという。この段階に至る前に「旧支配階級が強かったために近代化が遅れ・かつ植民地化の危機に立たされた国が、外国資本と旧支配階級をまとめて排除することができる政治体制」というのがあって、それこそが共産主義の役割であったと著者は強調する。マルクスが提示した順序を逆転して、後進国が資本主義国になる前の発展段階として共産主義を位置付けるのだ。

  政治的資本主義がグローバル化によって可能となったというのは、共産主義社会では富を保持することに意味がなかったからだ。共産主義社会では、エリート性を誇示するには金銭よりも組織における地位のほうが効果的で、利殖しようにも方法がなく、かつそもそも購入したい商品などなかった。けれども、グローバル化による世界経済へのアクセスは、エリート官僚が国内で不正に得た富を海外で蓄財することを可能にした。一方で、さらなる富を得るために、エリートが国内を経済発展させようとする動機も生んだという。

  リベラル能力資本主義と政治的資本主義が併存するグローバル化した世界は、富以外の価値基準はないものとされ、人間のあらゆる行動が値付けされ、格差が広がり、金持ちによって腐敗させられた世界であるという。では、この傾向から脱出する術はないのか。ないというのがその答えだ。富をめぐる競争から降りるには人間社会からの隠遁しかなく、競争から降りたまま人の間で暮らそうとしても、競争の勝者があなたが欲しいものを買い漁るのであなたは欲しいものを手に入れられなくなる。このように説明しておきながら、最終章で著者はリベラル能力資本主義を平等化することを考えているが…。

  以上。それでも資本主義という選択肢以外ありえないというわけである。とすると、競争に勝つほかないのだろうか。別の価値に基づいた生き方は許されない(というか人並みの幸せをもたらさない)。それこそが現代に生きる人の悲劇なのだろう。
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