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保守系図書館史学者による20世紀米国図書館批判

2024-08-19 09:35:07 | 読書ノート
Stephen Karetzky Not Seeing Red University Press of America, 2002

  米国20世紀図書館史。米国の図書館員および図書館情報学者が、親共産主義的傾向を持ち、かつ一般大衆による草の根的な保守主主義をファシズム扱いしてきたことを跡付ける。紛うことなき保守派による図書館論であり、あちらの文献を読んでいてもまれにしか出会うことができない珍しい立場だろう。著者のKaretzkyは、20世紀前半の実証主義的図書館情報学研究の誕生を記した大著Reaading Research and Librarianship (1982)の著者である。本文が400頁と長尺であるが、引用が多いだけであり、論旨は複雑ではない、

  1920-30年代の米国図書館員および知識人は、ロシア革命後のボルシェビキ政権を「進歩的」だとして肯定的に評価した。彼らは、ソ連における思想統制や検閲の存在を知っていたが、問題とは考えなかった。また、粛清や強制徴用といった制度的暴力については、同時代に漏れ伝えられていたにもかかわらず、取り上げることはなかった。だが冷戦期に入ると、ソ連における図書館の実態──図書館はプロパガンダ機関であり、図書館員は選書における裁量がなく専門家とは言えないこと、図書館員が投獄や粛清されることがしばしばあったこと、など──、あるいはその粉飾された統計数値──本が50冊あれば図書館とカウントし「世界一の図書館数を誇る国」と自称する、など──、さらには共産主義者が先端科学技術情報の収集や重要な意思決定機関ののっとりのために米国でスパイ活動をしていたこと、これらについて、米国でも冷徹な報告が散見されるようになる。しかしながら、米国図書館員の間でそれらが深刻に受け留められることはなかった。

  冷戦期の米国図書館では、「知的自由」の名の下で親共産主義の著作が優先的に所蔵され、保守派の著作の排除が行われた。当時の図書館員向けの雑誌カタログには保守系雑誌がほとんど掲載されていなかったらしい。また、1950年代のマッカーシズムによる焚書運動も誇張されてきたという。マッカーシー本人が図書館を標的としたとき、対象となったのは米国政府が管理する海外の図書館(反米的な本が所蔵されていた)だけである。米国内の公共図書館が対象となったのは住民運動によるものあり、そうした焚書運動の結果としてのパージ自体はごく一部の地域で見られただけで、米国全土にまたがる狂騒とは言えないとする。むしろ、知的自由の背後にある図書館員のエリート主義を正当化するために、マッカーシズムは実態以上に悪魔化されてきたという。最後の章では『検閲とアメリカの図書館』(日本図書館研究会, 1998)の邦訳で知られるルイーズ・ロビンズら図書館学系の歴史学者が批判されている。

  以上。主張が強く出ている書籍であり、どこまで信用したらいいのかわからない。米国でも「保守系著作は排除されやすく、リベラル系の著作は所蔵されやすい」という話は耳にすることもあるが、都市部の図書館の特有の傾向ではないのだろうか。地方部の図書館はまた様相が異なると推測するのだが、所蔵数を比較した数字がみたいところである。また、盤石な資本主義国であった米国において、冷戦期の言論人や図書館員が、国内で浸透しそうにない共産主義よりも、眼前で繰り広げられた言論に基づいたパージを危惧したのは理解できるものだろう。彼らのほとんどは共産党員ではなく、単にリベラルだっただけである。さらに、20世紀半ばのインテリが容共的立場を取るのは当時の雰囲気を考えれば世界的な常識であって、そのことが彼らの評価を高めることはないとしても、ソ連や東欧の共産主義諸国が崩壊した後になって批判するのは後知恵に過ぎるだろう。まあ、本書のような意見もあるというところか。
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