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日本公共図書館史の古典だが、専門家向け

2012-01-09 21:38:28 | 読書ノート
石井敦『日本近代公共図書館史の研究』日本図書館協会, 1972.

  明治から昭和にかけての日本の図書館についての論文集。通史ではない。40年前の古い本であるが、現在の図書館史のベースとなる見方を提供する、この分野の基本文献である。著者は1925年生まれで、2009年に亡くなっている。

  基本的なストーリーは『図書館の発見』のエントリですでに述べたものと同じである。明治から昭和にかけて、図書館のような書籍や新聞を閲覧させる施設に対する‘民間における’需要は存在した。しかし、抑圧的な政府がそれを妨げており発展できなかった、というものである。

  こうした史観の大きな問題点は、私立の会員制図書館から公共図書館への移行を「発展」と見てしまっていることだろう。民衆運動と関連して、知識へのアクセスの要求が高まり、日本全国に読書施設ができた。だが、政府はそうした施設を歓迎せず抑圧した。戦後になって、そうした要求に応える公共図書館を、日本の図書館界は組織しつつある、というところで終わっている。

  しかし、敗戦によって抑圧から「解放」されたのならば、施設は民間に任せておけば良かったのではないか? 需要があるのならば勝手に発展しただろう。なぜ政府がしゃしゃり出てきて税金で図書館を造る必要があったのか? これが21世紀に活きる者の疑問である。現在ならば、民間から政府への事業の転換は、そこに何か市場の失敗があったか、または単なる利権目当てだと見られるだろう。

  結局、著者が描くのとは反対に「(図書館人が描くような)読書施設への需要は少なかった」と把握するのが正しいように思う。読書には正の外部性がある。しかし、市場にまかせていては十分な量の消費がされない。したがって、公費を投入して書籍を安価に提供するシステムを作ることが必要だ。──こうした市場の失敗の論理を前提にしないと、民間事業から公共機関に飛躍する過程がうまく説明できない。この点は『図書館の発見』のエントリでも述べた。

  民間には任せておけないことをやっているからこそ、近代図書館史は公共図書館史になってしまうのである。

  この本を直に読んでみると、著者の歴史観のルーツもわかる。

  まず、民間の読書施設の公共図書館化を「発展」と見る理解の起源は、シェラの『パブリック・ライブラリーの成立』(参考)にあることがわかる。

  次に、民間の需要を神聖視する(「上からの改革よりは下からの改革が良い」式の)考え方は、マルクス主義である。実際、「明治絶対主義」「封建遺制」などの語彙が登場し、講座派マルクス主義の発展段階論にもとづいて社会と図書館の関係を論じていることがわかる。

  これらのルーツに依拠しなければならなかったのは時代の制約である。しかし、前者の議論は、民間の読書需要への対応を公的支援に値するものと短絡させてきた(上に述べたようにそれはもう一ひねり説明が必要な事態なのだ)。また、後者の民間の需要重視は、公共図書館の公共性を図書館員が考えることを難しくした(そのような発想は「上から目線」ということになる)と予想される。  
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