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図書館員のトラブル事例集。正当性があるのは図書館員のほうだが・・・

2012-01-20 15:19:43 | 読書ノート
川崎良孝, 安里のり子, 高鍬裕樹『図書館員と知的自由:管轄領域、方針、事件、歴史』京都図書館情報研究会, 2011.

  専門家向け。米国の図書館における「知的自由」関連のトラブルについて、米国図書館協会(ALA)がどう対処してきたかを論じる内容である。そこでのトラブルとは、図書館が扱う資料または資料選択に対する政治的圧力、さらにはそこから派生する図書館員の雇用保障といった問題である。ALAが、こうした問題に対し、どのような仕組みを作り、また個別の事件に対応してきたのかを詳しく解説している。

  ほとんどのケースでは、発端は図書館での資料やサービスの適性であるものの、最終的には当事者である図書館員の雇用問題につながっている。「白いウサギと黒いウサギが結婚する絵本は人種融和的だ」という理由で排撃される南部の図書館員や、中には味方がいないまま村八分をうける図書館員など、身につまされる事例もある。ほぼすべての場合で、理不尽なのは介入者のほうで、正当性は図書館員にある。こうした攻撃から図書館を守るのに、図書館と知的自由との結びつきが重要だったというのはよく理解できる。(ただし、6章だけは、資料やサービスとは無関係の図書館員の職場トラブルであって、知的自由の領域に入るかどうか微妙である。実際ALAがそういったケースへの協力に消極的な様子が描かれている)。

  以上のメリットを認めた上でなお問いたいのは「図書館をその設置者がコントロールしようとすることは不当なことなのか」ということである。具体的に考えているのは、住民または彼らに選ばれた首長が自治体図書館の蔵書をチェックする場合である。これは図書館員にとっては悪夢かもしれない。だが、チェック基準が理不尽なものではなく、正当なものである場合はどうか? 例えば教育効率で書籍を序列づけるというような場合である──それが計量できると仮定しての話だが──。うさぎの絵本より良い本があるのに、それを蔵書としないのは選択の失敗である、という評価はありうるだろう。こうした視点は、行政のアウトカムを評価する上で必要なことのように思われるのだが、それは知的自由を侵害するのだろうか? また稿を改めて考えてみたいことである。

  あと、米国図書館における知的自由への関心が"高まった"時期は1960年代後半から70年代半ばにかけてであって、1939年に採択された『図書館の権利宣言』よりずっと後だということは興味深い。
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