四角な船(新潮文庫)
★★★☆:70点
新聞記者の丸子が同窓会でふと耳にした面白い話とは、人類絶滅の大洪水を信じ、それを救済すべくハコ船を造っている人物が琵琶湖畔にいるという奇想天外なものだった。
井上靖の小説を読んだのは何十年ぶりでしょうか。私にとって井上靖は新田次郎、北杜夫と共に(旧)御三家の一人でしたが、好んで読んだのは中国を題材にした歴史小説(「敦煌」「天平の甍」)や「しろばんば」などの少年を主人公とした作品で、現代小説は殆ど読んだ記憶がありません。
この作品はラストがちょっとピンとこなかったものの、不思議な味わいがありました。人類を救う船。それを考えるのが多少風変わりな人(精神に変調をきたしているかもしれない人)といった点で森絵都の「つきのふね」とちょっと似ているかとも思ったのですが、全編を通じての味わいは全く異なっていました。
メソポタミア、ティグリス、ユーフラテス・・・洪水伝説と関係のある地域をさまよい歩いたという謎の人物・甍(いらか)。牛、鶏、鳥も集めていた彼は最後はアフガニスタンの山中で吹雪にまかれて・・・。
実は船を造ろうとしている甍が出てくるのは僅か2シーン、10数ページだけというのもユニーク。甍を追って琵琶湖、佐渡、東京と飛び歩く丸子によって、甍がなそうとしていることがおぼろげに分かってくるが、遂に甍の本当の心のうちは分からずじまいだった。
甍に出会った人間の多くはその不思議な魅力に引き込まれ、あんないい人はいないと口をそろえる。甍が変なのか、彼を理解できない人が変なのか、次第にそれが分からなくなってくる面白さ。甍からカメオを渡された人々。佐渡の海辺で1日中ひなたぼっこをしながら網をつくろっている盲目のお婆ちゃん。動物園で長年虎の飼育係をしている寺さん。捨て子を拾って(貰って)育てている若い母・七条みやこ。既にカメオは7人に渡されたらしいが、甍の人を見る目はしっかりとしている。そのことに確信を深める丸子。残りの4人がどんな人物か興味深かったのですが・・・。
カメオに入っていた紙に書かれていた謎の文字。それは古代アッカド文字で書かれた「汝、船に乗れ」という言葉だった!彼は本気だ。これが分かった瞬間のゾクゾク感は最高でした。
「夏の庭」でも素敵なお婆ちゃんが登場したのですが、佐渡のお婆ちゃんが実に素晴らしい。何が素晴らしいのかうまく表現できないのですが、丸子の言葉を借りると、
生まれつきの盲目であるにも拘わらず、何と美しく生きてきたことか。
誰を恨むでもなく、誰を羨むでもなく、己が運命を素直に受け取って、
長い人生を生きてきたのである。もしそうでなかったら、こんな美しい
笑顔はできあがらなかったに違いない。こんな美しい笑いを笑うことは
できなかったはずだ。えらいものである。甍でなくても、えらいと言う以外
仕方ないだろう。
そして、甍家と古い頃からつき合いのある船大工の堪左。甍からハコ船の建造を依頼さ
れ、最初は半信半疑だったが、次第にハコ船造りにのめり込んでいく。
わしはな、丸子さん、いいものは、みんないい形しとると思っとる。
鉋(かんな)でも、よくきれる使いいいものは、どれもいい形しとる。
家でも同じや。船でもそや。沈まん頑丈堅固な船は、みんないい姿
しとる。わしの造る船もいい姿しとるぞ。
ものづくりをする人間、職人・技術者としての言葉が良い。
*********************** 文庫本裏カバーより ***********************
人類絶滅の大洪水が襲来する日、ハコ船によって、救い出されるのは誰か?大洪水を信じ、琵琶湖の畔で、密かにハコ船の建造を開始したひとりの男がいる。深い学識の持ち主で、山中の旧い館に住む彼は、心を許す船大工に設計建造をまかせ、自分はその船に乗るべき人を捜す旅に出る・・・。
奇妙な人物をめぐるユーモラスな物語のなかに、現代社会への鋭い諷刺をこめた長
編。