22日の日曜日、大阪歴史博物館で開催中の特別展「煉瓦のまちタイルのまち-近代建築と都市の風景-」の関連行事である「重要文化財・泉布観」(大阪市北区天満橋1丁目1-1)の特別公開に行ってきました。
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~歴史博物館のニュースより転記~
泉布観は明治4年2月に落成しました。全国の洋風建築の中でも極めて古い時期のもので、大阪では現存最古のものです。当初は造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建てられました。明治5年以降は明治天皇の行幸があり、同22年には宮内省に献納されて、大正6年に大阪市に移管されました。「泉布観」とは「貨幣の館」を意味し、明治天皇が訪問した際に自ら命名したものです。
建物の設計には英国人技師ウォートルスがあたりました。ウォートルスは泉布観のほか、造幣寮の工場群、東京の銀座煉瓦街などを設計し、明治初期の日本の洋風建築の歴史に大きな業績を残した人物です。
泉布観の主な特徴は、煉瓦造であること、周囲にヴェランダを持つこと、照明器具などに古い要素を残すことなどがあります。泉布観の壁面は一見すると白い漆喰塗りですが、その内部は煉瓦で積まれています。そのため木造建築とくらべると非常に壁が厚くなっています。またヴェランダは建物の全体にめぐっています。これは「ヴェランダ・コロニアル」式と呼ばれ、幕末から明治期の日本の洋風建築の特色のひとつです。内部は天井が高く、ガス灯時代の照明器具が電球式に変わったいまも使われています。
このように泉布観は明治時代の洋風建築の特色を色濃く残し、昭和31年6月28日に国の重要文化財に指定されました。
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ここの内部を見るのは何年ぶりでしょうか。私が参加したのは、朝一番の10:30~11:10の部でした(定員20名)。
定刻になると、大阪歴史博物館・学芸員の酒井一光さんと共にまずは外観を眺めて解説をお聞きするところからスタートしました。酒井さんは雑誌「大阪人」の”発掘theOSAKA”の執筆などでも知られている近代建築の専門家です。また、当ブログでも紹介した好著・「窓から読みとく近代建築」の著者でもあります。そうそう、1週間前に歴史博物館で催された林野全孝先生&脇田修先生の講演会でも解説を務めておられました。ブログでは書いていないのですが、この講演会も良かったです。林野先生の飄々とした話しぶりの中に秘められた熱い想いに盛んな拍手が送られました。
外で5分ほどお話を聞いた後に内部へ。実は今回、内部写真の個人公開には制限がついているので、残念ながらブログには外から撮った写真以外にアップできません。
今回の私のお目当ては、特別展の展示にもあった暖炉などのタイルでした。酒井さんが各室やヴェランダで熱心に解説して下さるのですが、私を含む数名(面識はありません)はタイルなどの写真撮影に夢中で、酒井さんのお話を全てきちんとは聞いておりませんでした。暖炉の前は順番待ちだし、何せ時間があまりなかったもので・・・。酒井さん、すみませんでしたm(_ _)m
内部は床などの痛みが激しいためか、廊下でカーペット敷き以外の部分は歩行不可になっていたり、部屋によっては半分ずつの入室になったりと、かなり神経を使っておられました。1階には半分ボロボロになったオリジナルのカーテンも一箇所だけ残されており、その古武士のような古色蒼然とした佇まいは凄かったです。そんな中で見たMINTONなどのタイルは、華やかさと渋さが入り混じってなかなか見応えがありました。暖炉を守るかのようなグリフィンという動物(?)の小さな像も印象的。また、手描きで大理石調の紋様を描いたと見られる石もあって、これには一同、「へえーっ!」。
2階の暖炉のタイル(但し、複製されたものの)中で一部割れているモノがあり、そのことについて質問された方がおられましたが、何でも、公開時にアクシデントがあって割れたとのことでした。見学者の方が触られたんですかねえ。それはいけませんね。
11:30からは次の見学が始まるため、当初予定ではこの回は11:10までだったのですが、あちこちで粘る人も多く(?)結局11:20くらいまでおりました。それでも、見所がいっぱいだったため時間が全然足りませんでした。
◎参考ブログ:こいちゃさんのブログ”こいちゃの日記”
:のりみさんのブログ”のりみ通信”