読書の腕前(光文社新書)
★★★★☆:90(~85)点
同年代の著者のことを全く知らず、書名から、よくある読書関連本・読書啓蒙本の1つだろうなとあまり期待せずに読み始めてビックリ!素晴らしい本ですよ、これは。
特に第一章「本は積んで、破って、歩きながら読むもの」が秀逸。他の人の言葉や他の本からの引用が多いのですが、読書の本質、それが持つ底力のようなものがいっぱい綴られており、本を読むことに誇りを持つ勇気すら与えてくれます。
【以下、引用部が多く、かなり内容に触れています】
北上次郎 「本というのは即効性がない。”非常に効き目が遅い”メディア」
「本というものはもともと不便なもの。”読む”という意志も必要」
佐野眞一 「僕は本というものは、時間の流れを一瞬で止めてみせることが
できるメディアだと思うんです」
色川武大 「書物を読むことで得る大切な収穫のひとつは、他者を知ること
だと思います」
遠藤周作 「読書の楽しみのひとつは、私にとってこの他人の人生を生きる
こと、他人になれる悦びかもしれない」
谷川俊太郎 「楽しむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は
未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の
楽しみ方の底の浅さも表れていると思う」
「楽しみはもっと孤独なものであろう」
中島らも 「”教養”とはつまるところ”自分ひとりでも時間をつぶせる”という
ことだ。それは一朝一夕にできることではない。働き蜂たちの
最後の闘いは、膨大な時間との孤独な闘いである」
孤独なんかこわくない。「読書の楽しみ」を知っている者なら、いつだって胸を張って言えるはずだ。
本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。その気になれば、ちょっとした時間のすき間を利用して、いくらでも読めるものなのである。・・・要は、ほんとうに本が読みたいかどうか、なのだ。
まともに本とつきあって、コクのある読書生活を送ろうと思ったら、「ツン読」は避けられない。と、いうより、それしかありえないのだ。読んでいないのなら、それは「死蔵」である。持っていないのと同じ、と思う人もいるかもしれない。ところが、現物があるとないとでは、月と地球ほどの距離の開きがあるのだ。
買っておくと、不思議なもので、やがて読むようになるものである。気にかかる本が新しく身辺に置かれるのは、環境に新しい要素が現れることである。私たちの心に新しい刺激が加えられるということである。
井上ひさし「買ってすぐに読まないでも、机の横に置いておけばいいんです。不思議なことに、ツンドクをしておくと、自然にわかってくるんです。「これ読まなくていいや」とか、「これは急いで読まなきゃいけないな」とか・・・。
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いやはや、素晴らしい&凄いのひとことです。
本を読みたい人は、忙しくても読みます。というか、忙しいときほど細切れの少ない時間を利用してむさぼるように本を読みますね。私もそうです。地下鉄・御堂筋線の電車待ちの時間なんて1、2分なのですが、その時でも文庫や新書を開いてしまいます。
スポーツも勉強も苦手で気が弱く、なにごとにも自信のなかった著者。しかし、小学校と中学校で先生の言葉に大いに勇気づけられ、「文章を読む」ことに関しては人より長けていることを意識するようになり、更には書くことを職業に選ぶようになったそうです。
中村先生:「このクラスに作文の天才がいます」
山田先生:「この子が岡崎くん。この子がこの作文を書いたの」
「あんた、絶対に文章の書ける人やから、絶対新聞部に入り」
上野先生:「岡崎くん、あんたが班ノートに書いたあの詩(萩原朔太郎)、
タイトルは何やったけかな?」(先生から自宅にかかってきた電話)
みんな、ええ先生やなあ。子供のことをよく見つめ、長所を伸ばしてやるのが教師の最大の務めだと思います。
それにしても、世間一般で読書人・知識人・教養人と言われる人たちの読書のレベル・量・ジャンルの広さはとてつもなく、小説や建築関連本、趣味・実用書主体の私など足下にも及びませんね。
が、本好きなことは自信ありです。そして、読書が好きなことはもっと自信を持っていいですね。
第七章「蔵書の中から”蔵出し”おすすめ本」も絶品です。
※ところが何と、目次では第七章が第六章と誤って大きく印字されています。
こんなミスはちょっと珍しいですね。
ここで紹介されていた「旅の終わりは個室寝台車」(宮脇俊三)を図書館で早速借りて読んでいますが、とてつもなく面白いです。
さあ、「書を捨てよ、町へ出よう」 じゃなくて、「書を持って、町へ出よう!」